丸田祥三氏『棄景』剽窃被害について思う・2

PaPeRo2010-03-28

  写真家・丸田洋三氏が同業者の小林伸一郎氏から「盗用」されたと訴えた事件は、写真集の中の個別な写真に関してでしたが、問題はそこにだけあるのだろうかということを、以下書いていきたいと思います。
  ちなみにこれは訴訟案件それ自体ではなく、僕自身の批評行為でありますが、訴訟案件の背景に存在する間接事案にはなり得るかもしれません。


  写真家・小林伸一郎氏が、同業者である丸田洋三氏の写真集『棄景』から「盗用」したと訴えられた『廃墟遊戯』の前に出した写真集は二冊。
  タイトルは『Tokyo Bay Side』(91年)、『AMERICAN TWINS』(92年)。いずれも横文字のタイトルです。
  
   丸田氏の『棄景』が出たのは93年。その後、小林氏は『AMERICAN TWINS』から5年のブランクを置いて98年に『廃墟遊戯』を刊行します。

  『廃墟遊戯』以後の小林氏の写真集タイトルは『人形 HITOGATA』『廃墟漂流』『廃墟をゆく』『亡骸劇場』『最終工場』と漢字中心となっていきます。
   小林氏のそれ以前の写真集タイトルには日本語はなく、しかも、のちの「亡骸」「最終」に匹敵する、終末観を漂わせる語句は英語の中にもまるでみられません。『Tokyo Bay Side』『AMERICAN TWINS』という語句の選び方には80年代までの、まだアメリカ文化への追従がカッコイイとされた時代のセンスが見られ、終末的な陰りも存在していないのです。

   明らかに、丸田氏以後に小林氏は「漢字で構成するタイトル」「終末を感じさせる語句」というセンスを取り入れています。
   丸田氏が確立した廃墟写真集の路線を踏襲したかに見えます。
   『棄景』という言葉には、廃墟そのものを指していながら、同時に我々の生きている近代以降のこの世界もまた、いつかは打ち棄てられる風景であり、またいまもそうなっているかもしれないというニュアンスが込められています。

   これはあくまで僕の想像ですが、『Tokyo Bay Side』『AMERICAN TWINS』というアメリカナイズされたセンスでは時代とズレ始め、行き詰まりを感じた小林氏は、五年間写真集を出せなかった間に脚光を浴びた丸田氏のセンスに着目したのではないでしょうか。つまり、中の写真ばかりかそのスタイルも模倣、と言って悪ければ影響されたのではないかと思うのです。
   
   丸田氏の最初の写真集のフルタイトルは『棄景 Hidden memories』にサブタイトル『廃墟への旅』がつきます。
   小林氏のフルタイトルは『DEATHTOPIA廃墟遊戯』。
   漢字と英語を組み合わせたタイトルに「廃墟」の本だという情報を入れるという構造は似ています。

   ちなみに、丸田氏は当初、処女写真集のタイトルを『棄景』の二文字のみにすることを考えていました。しかし当時の意識では、まだまだ横文字のタイトルをつけないとイマ風ではないという出版社の希望を容れた形になったのです。ですからのちの『東京−棄景III』『日本風景論』『廃車幻想』などの著書では横文字の併記がみられなくなります。

   これもまた、小林氏の著書歴では踏襲していくことになります。


   もちろん、影響を受けること自体は「盗作」ではありません。  

   小林氏は今回の盗作問題で訴えを受けて、過去丸田氏の写真を見たかどうか記憶がないという極めてあいまいな証言をしています。明確に「見ていない」と言わないのは、どこかで破綻が生じないための予防線でしょう。
   そのうえで、写真家として注目したことはなかったし、丸田氏の実績は世間で目に見える目覚ましいものではなかったと言っているのです。
   
   上の影響関係をみると、およそそのことは信じられなくなります。
   
   
   ここで僕は、もうちょっと先に話を進めたいと思います。

   ネットに挙げられた小林氏のプロフィールを読むと、おもな著作として『廃墟遊戯』以降の本を記していることが多いようです。

   丸田氏の写真家としての実績をまるでなかったように軽んじる証言をした小林氏は、まるで丸田氏にとって代わろうとでもするかのように、廃墟写真家としての経歴を強調しているのです。

   しかし裏を返せば、主な著作に『廃墟遊戯』以降を挙げているということは、小林伸一郎氏の代表的な仕事は丸田氏の影響下から抜けられないということを意味するのではないでしょうか。
   小林氏が自分の『廃墟遊戯』以前の、丸田氏の実績を見えなかったもののように言うのは、このような背景と無関係ではないのではないかと、私には思えてなりません。