「本物」を残すために〜丸田祥三氏『棄景』剽窃被害10

  丸田祥三氏のブログを、弁護士を通して全面削除しろと要求して続けて来た小林伸一郎がブログを開設。http://st-rise.blog.ocn.ne.jp/lagenda/2010/11/post_6161.html 
  ひとの表現活動をなきものにしようとしてきた彼が何を言うのか、注目していきたいものです。

  小林伸一郎丸田祥三氏の盗作問題と無関係なブログ「rail song」http://eeg.jp/KqEiまで削除しろと要求。 
  また丸田氏ばかりではなく、僕や枡野浩一氏の盗作裁判について触れたブログまでも丸田氏の責任で全面削除しろと要求して来ました。しかも世間はおろか、僕や枡野氏にも小林氏サイドからの要望だとは伝えず削除させろと要求したのです。

  問題があったこと自体を封殺したい小林伸一郎の意志が伺えます。
  僕や枡野さんのブログ、直接問題と無関係な「rail song」の削除を求めるのも、これらを通して検証サイトhttp://bit.ly/gLtVvPにつながるのをおそれているのかもしれません。
  丸田祥三と名前を並べられて比較されるということが、小林伸一郎には苦痛でしかたがないのでしょう。

  今回のことでつくづく感じるのは、情報というものは我々の眼に入る前にすでにコントロールされていて、批判精神を持たないと感性すらもいつのまにか誰かの意志の都合のよいように方向づけられてしまうということです。

  「たとえパクリをするものがいても本物は残る」と言う人がいます。
  でも、そのように歴史を導くためには、我々自身が情報をコントロールされていることに気をつけなければならないのです。

  たとえば公的な美術館や博物館に行けば、文化や知の水準は一望できると、普通の人は思っているのではないでしょうか。写真美術館に行って、付属書店にある写真集をめくれば、現代の代表的な写真はわかる、と思っている人も多いでしょう。

  小林伸一郎が開設したブログのプロフィールに「東京都写真美術館」に自分の写真がコレクションされていると書かれてあります。一方丸田祥三の写真は東京都写真美術館の書籍売り場からすら排除されているのです。出版社が申し入れても置くことを拒絶したのです。東京都写真美術館は盗作疑惑が上がっても尚小林氏を推し続け、「ならば売店に丸田の作品集も一緒に置いてみてください」と丸田氏の版元担当の人が再三頼んでも「一冊棚ざしにすることもお断りだ」と拒まれてしまったといいます。都の税金も投入された公の場での、これが現実なのです。  
   
 「いいものが残る」ためには、それが人々の眼に触れ、批評される手続きが公正でなければならないのが前提です。都の施設でもある「東京都写真美術館」に、小林伸一郎の作品が重用され、丸田祥三の写真が徹底的に排除されているという現実は、その前提から操作されているということを意味します。

 私はなにも丸田氏の写真の方を逆に重用すべきと言っているのではありません。
 「丸田祥三小林伸一郎の作品を見比べ、好ましい方を選ぶ」という機会がなくされていることが問題なのです。そして、そうすることで得するのは誰なのか、自明であるように思います。

 政治家の原口一博氏は「国際社会はルールの取り合い」だと言っていました。国内の文化の中にも同じことが言えそうです。
 いいことをしているとか、善なるものを信じているからといって漫然と過ごしていては、守れないものがある。

 なにかが侵害されたり、公正でないと思ったら自ら声を挙げることが出来て、そして聴き取ることが出来る人々がいるということ。
 それが「本物が残る」社会になる条件なのです。