『オタク論!』
『オタク論』読了。
納得したところ。なるほどと思ったところ。
○コミケを馬鹿にしていいのは、どんな本を出しても十万部以上売れる作家だけ
○同人誌の普及とコピー機の普及は無関係でない
○岡田斗司夫の毒舌は違和感を感じている人の代弁者としての義務感にかられている、いわば消費者運動
○何を食べたか書くのはダイエットの絶対条件
○やっぱり芸になるのはルサンチマンだけ
○紅の豚でかっこよさを外見でなく描こうとした宮崎駿だけれど、イケメンをその役にしたハウルの方が女の子に人気があって一番ヘコんだのは宮崎駿かも
○萌えの感情はあってもあてはめる語彙がそれまでなかった。三島も萌えという言葉を知っていれば憂国に死すこともなかった
○それまでオタク趣味のハードルはそれぞれ高かったが、萌えはそれを簡単にした
○エヴァンゲリオンと庵野はドジッ子の魅力
○唐沢俊一のコレクションは彼が関与することによって価値が出たものばかり
○ポストモダンは時代の先端が突如降臨するという救世主思想
○みうらじゅんの可能性と限界はどこまでいっても「マイ」なこと
○売れたくて売れたやつは死なない
○自殺した人はヤマを張って摩った人
○いまの時代は頭のいい人が儲からない
自分も思っていたこと
○日記は朝起きて書く
○mixiはパソ通のいい部分(閉鎖性)の再現
○宮崎事件があったからオタクは足元を見直すことが出来た。感謝。あの十字架が成熟への道。
○自分が面白いと思ったことに、時代を仮託させようというのがない
○ノスタルジーも現代のファクターの一つである
○状況論を否定し、漫画の中だけで語ろうということへの違和感
○オタクの真の問題点は今後金を出さなくなること
○場作りが出来る人間こそ貴重で、日本には少ない
○われわれはまだ、安かろう悪かろうの世代
○ネット世代は実は40代がメイン。若者は携帯。
あれ?と思ったところ
○南沙織で漫画の消費のされ方が変わった→自分は「アグネスラム」かと思っていた。
○40代超えたらイノセンス合戦やめて悪役引き受けるオッサンになろう→もともと岡田さんたちはそうだと思っていた
○サブカルはオタクと違ってアイデンティティだからツブシがきかない→これが映画秘宝がオタクかそうでないかという判断を分けるところでは? この論法で言うと本田透さんの電波男はオタクというよりむしろサブカル的ということになる。僕は電波男を読んだときからそう思っていた。だから彼の本はサブカル層にもアピールした。オタクとサブカルを対立させているだけでは見えないものもある。
○唐沢俊一はいつ売れなくなるかわからないから子どもを作らなかった→一度も売れたことがないのに子どもが生まれそうな私って何? 売れると逆に不安になるのかな。経験ないからわからない。
○文化的に味覚が洗練されていくのではなく、子どもの頃の味に帰るのが普遍的→両者は対立するものなのか?
○ルーカスはスピルバーグと違って作家でない→言わんとすることはわかるが、ゆえにルーカスは近代文学以前の、安吾言うところの「文学のふるさと」を持ち得ていると思う
萌えはオタクを流通させるためにもっとも一般的なカスタマイズされたものともいえる。ということは、萌えの浸透がオタクを終わらせるのか。オタクがなくなったあと、けれど世界は萌えになっているということか。オタクのことは思い出さなくても、世界が萌えになっている未来が来るのだろうか。
- 作者: 唐沢俊一,岡田斗司夫
- 出版社/メーカー: 創出版
- 発売日: 2007/04/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 1人 クリック: 59回
- この商品を含むブログ (64件) を見る