天皇陛下あっての「平和」
小林よしのり氏の『昭和天皇論』(幻冬舎)、完全描き下ろしを一章一章、噛みしめるように読みました。
本の中盤を過ぎたあたりから「全部読んでしまうのがもったいないよ!」と何度も思いました。
国民は天皇を意識していない時間でも、天皇は常に国民のことを考えている。
これまで僕が読んだ小林氏以外の天皇論は、国民の中における天皇の位置が書かれていたのに対し、この本は天皇自身の国民への愛に溢れており、さかしらなところがありません。
しかもそれを通して「日本人論」になっています。
国体の維持のあり方の独自性において、です。
天皇のあり方は、このような国体を生きてきた我々自身と相照らし合っていることに、私はこの本によって気付かされました。
安保条約はたしかにアメリカ依存を強めさせ、アメリカへの批判力を失わせ、日本人のモラトリアムを延長させました。しかしそれは締結時には最良の選択だったのであり、天皇陛下のリアリズム外交がもたらしたものなのだなとわかりました。
戦後の天皇が政治的には何もしていなかったというのは大間違いなのだと思いました。
日本人は天皇陛下のおかげで、平和な戦後を送ることが出来たのだなあ、と。
ひとは失ったものには目を向けるけれど、失わないですんだものにはなかなか目を向けない。
天皇の戦争責任を言っている人は天皇に甘えている駄々っ子……というのは、実は自分も最近薄々感じていたことなので膝を打ちました。
そうした甘えに対しては「文学のことはわかりません」と受け流す大きさを天皇陛下は持っていました。
と同時に大いなる責任を感じており、示すべきところでは示していたのです。
その責任の質には、天皇であることの限りなき重さが感じられます。
ところで小林よしのり氏は、電車で居眠りすると不道徳になるからと、かなりすいてないかぎり立ってると書いてありました。
僕なんか昨日はお茶の水で降りるところを神田、おとといは新宿で降りるところを四谷まで乗りすごしてしまいました。早めに出る癖があるから約束の時間には間に合いましたが、会う相手の迷惑だけを考えているようじゃまだまだ自分は未熟者です。