比叡山フィールドワーク

 阿部さんとのトークショーに来て下さるとのこと。初めてお会いするので嬉しいです。

 京都での研究発表、および翌日の比叡山フィールドワークはいずれも貴重な体験でした。

 発表では、僕の詰め込みすぎな内容の中から、鎌田東二さんが「観点を取っ払った全的認識としての小林秀雄もののあはれではなく、観点を設けることによる全的認識への接近としてのもののあはれの位相」を輪郭づけてくださいました。

 安吾より「ホンモノ」だと鎌田東二さんもいう川端康成の「狂った」感覚については、ますます今後追求してみたい思いに駆られました。またバルトの「偶景」のヨーロッパ的な位置づけと日本のそれ、という鏡リュウジさんより指摘された問題も考えていきたいと思います。 

 発表の草稿は近日モノ学のHPにもUPされますので、また告知させていただきます。

 翌日は前日の会場となった京都造形芸術大学の裏手から山伝いに延暦寺の根本中堂まで歩き、また大学まで戻ってくるという東山修験道回峰行の実践でした。
比叡山延歴寺の諸堂を廻りました。

 前日の研究発表での上野誠さんによる、万葉集における左手と「奥」の発表(左手に象徴されているのは利き腕の右腕よりも「奥」に秘められた、神聖なものであるという認識)を伺った翌日、無動寺谷の奥の院・弁天堂の魅力に捉われました。太陽に向かって開かれている場所・明王堂と、やや奥まったところに広がっている弁天堂の対照の妙。大学裏からの地続きな道行が、その実感をいや増しました。弁天堂のしんと冷えた、やや暗めの、しかしどこか安堵させる広がりに惹かれました。

 鎌田さんのまねをして弁天堂のお水をペットボトルに注ぎましたが、歩きに歩いた放心状態で水を少し口に入れるとそれだけで澄み渡り、周囲の山の音が急に聞こえてくるのには驚きました。午前から夕刻にかけての道行きでしたが、夕日がじかに見えるのではなく、山道の視界が限られた中で山林に夕焼けが横から差し込む光景というのも、とてもきれいなものだなと思いました。まさに、これも、観点を設けることによる位相の体験でしたね。

 後半は足や膝が相当応えてしまい、鎌田さん皆さんにご迷惑をおかけしてしまいました。普段から足腰鍛えておかなければと反省いたしました。

 東海自然歩道って、東京から大阪まで続いているそうだけど、いつか歩いてみたいなと思いました。