「わしズム」ふたたび登壇
昨日発売の「わしズム」秋号に原稿掲載。以前に日記で「季刊誌」と言っていたのはその原稿のことだった。
前回に書いたネット右翼への反論のPART2を期待した読者も居るかもしれないが、それとはまったく趣を変え、いまブームの「スピリチュアル」について書いてみた。
実はこのテーマは僕が前から書きたいと思っていて、アカデミズムやオカルティズムの識者たちと仕事でご一緒する機会のあるときに内々に話題を出したりして自分なりの角度を探っていたところだった。そのときに出てきたのが「江原啓之」と「夜回り先生」との重なり、だった。
そろそろどこかの雑誌に売り込もうかと考えていた矢先「わしズム」から、メイン特集「日本の不安」(と企画段階では説明を受けた。実際の雑誌では「真の不安 偽りの不安」になった)に絡んで「スピリチュアル」について書いてみないかと言われたときには、内心を言い当てられたようにびっくりした。
小林よしのりさんからは、編集者を通して、このテーマだったらぜひ「摂理」についても触れて欲しいという希望が伝えられ、脱会協力をしているキリスト教の牧師さんに話を伺ったことで、だいぶ切り口が見えてきた。
「摂理」はセックス教団とも言われるが、教祖やカリスマのスキャンダルでもって彼らの引きずりおろしを図るという週刊誌的なやり方を、自分は取りたくなかった。
より本質的に、「スピリチュアル」な思考のなにが問題点となっているのかを、考えてみた。
たとえば僕は「夜回り先生」にはぜんぜん悪意はないし、むしろ多くの点で尊敬している。彼の話に涙することもあった。しかし、そうしたこととは別に、いまの時代の中での彼のあり方を、考察してみたいと思ったのだ。
今後も考察を深めていきたいと思うテーマだが、ひとまず世に放たれた。
ご一読・ご感想伺えれば幸いです。
筆者近影は江原コスプレをしたのだが、あまり似なかった(笑)
今日は午前11時ぐらいまでで、ここ数日集中的に取り掛かっていた単行本用の資料をやっと完読したが、ちょうどそのとき、冬に出る本のゲラ直しがメールで届いた。
まさにグッドタイミング。そのままゲラチェック作業に入る。
書き直すところ指定していったん作業やめ、単行本用の書き入れ作業の準備を始める。
これで後は目次4章の講演採録に手を入れるのと、5章の下北沢問題、6章の冒頭の某アニメの話題を追加して、さらに全体をまとめなおした原稿が週明けまでにはできると思う。
冬に出る本はタイトルも決まる。