男たちの居場所

  美術館の図録原稿を引き続き書く。
  「情緒論」のあとがきをいじる。

  土曜日の久保新二さんの取材準備で71年、向井寛監督の「春夏秋冬 肉布団」という映画を見る。
  ひたすら女とやりたいという田舎の青年二人組が東京に繰り出す。上野のヴィーナス像を見て「裸の女だ!」
  だが都会は厳しく、うまい話と思いきやひどいめにばかり遭う。
  和製真夜中のカウボーイという風情。男二人で女を夢想しながら荒れ野に放り出されたベッドで戯れるという象徴的空間が生かされていて、女とやりたいがヒドいめにあった男どうしの連帯が確認される。肉布団というのは酒池肉林の妄想そのものでありながら、それを夢想し青空の下に両手を伸ばす男たちの居場所なのだ!
  のちの山本晋也監督の痴漢シリーズや未亡人下宿と通じる、女とやることしか考えてないが、そのあけすけな下半身の事情において男どうしだけで通用する連帯を描く、という路線の作品。だが久保新二さんの演技はまだ後のアドリブ爆発と言った感じではなく、さわやかな美青年の面影だ。若い男を買って集団でいじめる有閑マダム(山田洋次が脚本を書いた「みな殺しの霊歌」もそうだが、当時はこういう、暇を持て余した有閑層の婦人が逆レイプするという事件かなんかが現実にあったのだろうか。あるいは時代の転換期における、これから強くなっていくであろう「女性」への先回りした被害者意識なのか)のリーダー役で、藤ひろ子が出ている。この人も長かったなあ。80年代まで出ていたからなあ。映画の城という雑誌では「藤ひろ子オババ」なんて書かれていたっけ。