柳美里さんと「文学のふるさと」へ


11月2日、池袋ジュンク堂での柳美里さんとのトークショー、おいでくださってありがとうございました。
 当日、会場に到着した柳さんが持参した『情緒論』には折り目と赤いアンダーライン、書き込まれたメモがびっしり。柳さん当人は本を汚してしまって申し訳ないという顔をされていましたが、私は思わず、その本を欲しくなりました。柳さんの書き込みがいっぱいの『情緒論』だなんて、まさに世界に一冊しかない!
 「ぬっと出る、ということ」の章の質疑応答部分での写真家、内藤正敏さんによる、修験の山に上るときのご神体までの風景は不連続だという発言をおもしろい、とおっしゃって、赤で囲んでありました。あの章の採録は、実はこの内藤さんの発言を収録したくてやったところがあるので、一番やりたかったところを見抜かれてしまって「さすが!」だと思いました。また山越えの阿弥陀の図版の横に、折口信夫による日本に渡来して日の神信仰の要素が加わったという指摘を紹介した部分は、本文の「ぬっと出るということ」とそれとなくリンクさせたところだったのですが、そんなごくさりげないところも赤でアンダラインを引いてくださっているのを私は見逃しませんでした。
 鬼太郎のバックベアードと元ネタである内藤さんの「新宿幻景キメラ」の図版が並べてあるところも「そうだったんですね」と喜んでくださり、子どもの頃は鬼太郎が好きだったんですよとおっしゃっていました。
 でも柳さんが開口一番、おっしゃったのは「AIRって面白そうですね」という一言でした。ギャルゲーと空について書いた最後の章は、やっていない人に伝えようと腐心したところなので、そこを一番に言ってくださったのはうれしかったです。
 そして柳さんは、幼い頃、空に圧迫感を抱いたという話をされました。そして、空をめぐる原風景のひとつを語りだされたのですが、その際、客席の最前列に座っていた女性が感極まって、泣き出したのです。しゃくりあげるように。
 これにはビックリしました。いわゆる「泣かせる」ような話をされていたわけではないのです。おそらく、その人の中にある原風景と、その場で話された風景が「直結」してしまったのではないでしょうか。
 まさに「文学のふるさと」です! 坂口安吾が言っていた、あの「なつかしい場所」とシンクロしてしまったのでは!?
 坂口のいう「文学のふるさと」とは、文学そのものではないけど、その根源たるプリミティヴな場所に立つ、ということ。『情緒論』の「なつかしさ」を、僕はそこに置きました。
 『情緒論』の中で僕が果たそうとした長年の宿題はつげ義春論でしたが、つげはもともと読んでいて大好きだという柳さんは、『情緒論』の中で引用したつげの発言にある「自我の中で考えだされた偽物のリアリティ」の外側に立つために、新作『山手線内回り』でも、自分が考えたことと自分の周囲で起こったり見えたりした事象に重さ軽さをつけないで書いていきたいのがいまの心情だとおっしゃっていました。
 押井守の『パトレイバー劇場版』に触れた箇所での「不在証明という形の自己証明」という私の記述にも目を留めてくださいました。
 くっきりとした青空のように、透明だけど濃い時間が流れていたようなトークショーでした。
 どこかで採録できればいいのにな、と思いました。
 来ていただいた方それぞれの中に、きっといろんな風景が去来したと思います。それをひとつひとつ覗き見したくなるような時間でした。