文庫のキモチよさ



あるブログで、以前新書版の『宮崎駿の<世界>』読んだときには、自分も宮崎アニメについてはマニアックに詳しいので、どうしても知識の部分だけ読み取ろうとしていたが、今回の文庫版は素直にその文体を楽しめたという人がいた。

  なるほどなと思った。
  実は僕自身、そう感じているのです。

  新書って、やっぱり「お勉強」的体裁なのだけれど、文庫は「読み物」という感じがして、文章のタッチそのものに対して素直に入っていきやすいところがあるのかなと。

  もちろん、今回前半部から微妙に読みやすく加筆しているつもりなので、それでというのもあると思うのですが、たいして書き直してないページまで全然印象が違うのです。

  新書版のときは「買ったけど難しそうで読まなかった」と正直に言っていた勝川克志さんが、今回あれだけの厚さの本を一気に読んでしまったというのですから。もちろんご自分で装画を描かれたので、愛着が違うというのもあるとは思いますが。

  でも僕は、福井晴敏さんや前川麻子さん、中村うさぎさんの文庫の解説書いたときも、自分のページ開いて「これがいつまでも続いていたらいいなあ」という錯覚に酔ったのを思い出します。自分の文体が文庫でずうっと印字されてるの追うのって、なんか気持ちいい!

  書き手にとって文庫になるっていうのは、そういう意味でも嬉しいことなんだなあと。
  なんか、内容以前に「読み物」として認められた感じがします。

  なんだろう、あのサイズと文字の大きさ、そして持ったときの軽さのバランスかな?
  それとも僕の文体が本来文庫に合っているのか?