でっかいことはいいことだ

   好評のうちに幕を閉じた「仮面ノ世界」最終日のゲスト半田健人さんは楽屋で大島康嗣さんの撮った「死神カメレオン 決斗!万博跡」のロケ写真を見て「万博だ!」と反応、大島さんがライダーの前は少年マガジンのグラビアで四年間万博を追って写真を撮っていたことを知り感激。出来上がった万博会場ではなく、木を切り倒すところから撮影を始め膨大な写真が講談社に眠っていると聞き「ぜひ写真集を!僕がコーディネイトします」とトークでも熱く語っておられました。

  昭和の高層建築が好きな半田さんにとって仮面ライダーというヒーローは「京王プラザホテルと同い年」の存在として記憶にとどめられるべきもの。その京王プラザも大島さんが建築段階から撮っています。

  いま漫画誌のグラビアというと美少女水着がメインですが、「大きな建物が建造される」ということがそのままグラビアになっていた時代。時代を作るドキュメントがそのまま物語になりえたことに、当時生まれていない半田さんは新鮮なものを感じているようです。

  大島さんは羽田空港に泊り込んで撮影したエピソードも開陳。ジャンボジェットの重みで車輪の下に穴が空いて、それを撮ったという話など興奮モノです。

  当時のグラビアのプロデュースはあの伝説の大伴昌司さん。ウルトラ怪獣の解剖図でも知られています。
  大伴さんは「写真は望遠だけでいい」と、若い頃の大島さんにハッパをかけたといいます。

 「当時いろんなものを撮った体験がライダーの撮影にも役立った」という大島さん。

  現在、当時の図版を使ったグラビア誌が現役で通用するのも、キャラクターの持つ普遍性もさることながら、写真自体の力によるところが大きいのではないかと思います。

  そのアクションのダイナミックさ。仮面やスーツなのに感情が迸る。スチールなのに馴れ合いのポージングじゃない、場面写真を大判で再構築したような迫力。

  普段からアクションチームの役者さんたちと交流し、声をかけ、差し入れを欠かせないという大島さん。
  半田さんも一年間、大島さんの差し入れてくれたお煎餅を食べながら役者として成長してきたといいます。