謹賀新年

  

  あけましておめでとうございます。

 昨年はご指導ご鞭撻ありがとうございました。
 2008年は私にとっては、まずは七年前に出した『宮崎駿の<世界>』を文庫として上梓できた年でした。最新作『崖の上のポニョ』まで本一冊分新たに書き下ろしながらも、宮崎作品についてこれからも書き続けていきたいという思いを新たにしました。一瞬一瞬が変化していくアニメーションに妥協なく取り組む宮崎監督の仕事に触れて、いち物書きとして改めて襟を正したつもりでした。

 しかし、08年の最後に出させていただいたイベントでは、「人生侮っていた!」と思いました。
 「藤岡弘、さんとお話できるなんて、自分の人生の予定に入ってなかった」と。
 楽屋で眼光鋭くも柔和な表情を見せられ「六十歳を越えてますます若くなりました。これからなんでもチャレンジできます。時間を無駄には出来ない。一秒一秒が歴史になるのです」「百カ国以上をめぐり、戦場でテントを張って暮らし、怖いものはなくなりました。もうなにを見ても動じない自信があります」……藤岡さんがそれまでの半生において身体で感じてきた言葉がまだトーク開始前からドンドンこちらを直撃してきました。

 まだ四十を越えただけで体力の衰えを感じる私ですが、今年は出来るだけ、一刻一刻を侮らず過ごしていきたいと思います。

 昨年は各界で名を残された才能が多く夭折されました。
 私が十年前『地球はウルトラマンの星』という本でロングインタビューさせていただいた原田昌樹監督もまた、惜しまれながら逝ってしまわれました。
 「平成ウルトラマンを監督した男」の重要な一人である原田昌樹さんの本を、監督の残された言葉そして監督が愛した人々から頂く証言を損なわないよう、完成させていただくのが今年上半期に課せられた私の大きな仕事です。

 昨年は、07年に上梓した『情緒論』の内容を発展させる形で、文学界に長編評論『文学の中性名詞〜川端康成坂口安吾から』を書くことが出来たり、『情緒論』出版記念トークのゲストに来てくださった阿部嘉昭さんから、今年は阿部さんの方の著書(mixi日記をまとめた『僕はこんな日常や感情でできています』)のトークショーに呼んでいただき「リベンジ対談」(阿部さん命名)をしたり、「わしズム」誌の対談で出会った富岡幸一郎さんのテレビ番組に呼ばれ『情緒論』を紹介していただいたり、自分のやってきたことの先の展開を見ることが出来ました。

 また短いながらも「小説現代」誌に生まれて初めて小説を発表し、機会があればいつまでも続きを書き続けていきたいなあと妄想しました。私自身は残念ながら伺えませんでしたがゆうばり映画祭での出演映画『ダンプねえちゃんとホルモン大王』の上映(『ヒミコさん』でもお世話になった藤原章監督作品。いよいよ今年公開です!)も嬉しいニュースでした。

 そして、私の一方でのメインの仕事ともいえる、処女単行本『怪獣使いと少年』以来の<ロングインタビュー批評>では、ガメラを生み出した脚本家・高橋二三さん、「帰ってきたウルトラマン」以降の第二期ウルトラシリーズを支えた脚本家・田口成光さん、『キイハンター』の伝説のオープニングを撮り、プロデューサーとしても活躍した堀長文さんといった、自分の情操を育ててくださった方々と直接話が出来る機会を持てました。
 「おとなの映画」では『おんな地獄唄 尺八弁天』を撮り、昨年新作を久しぶりに作った渡辺護さんにお話を伺えたり、いまでも直接フィルムをいじって編集している酒井正次さんに東映ラボの地下で久しぶりにじっくり伺えたのもまさに「歴史」に触れる瞬間でした。
 こうした場を作ってくださった各編集担当者の皆様、ありがとうございます。

 また、先にも触れた石ノ森章太郎先生の生誕七十周年記念における藤岡弘、さんのトークショーや、少年サンデーと少年マガジン両編集長の対談では司会に呼んで頂いたり、高橋洋監督『狂気の海』に影響を与えた『サイボーグ009・太平洋の亡霊』の脚本を書いた作家・辻真先さんとトーク出来たり、『ドラえもん』映画版ムック用に『ドラえもん』誕生に関わった編集者の一人である井川浩さんにお話を伺えたのは他に代え難い機会でした。

 昔「宝島30」に書かせていただいた本多猪四郎監督についての文章を本多監督生誕百年に向けて監督のサイトに掲載させていただく機会も得ました。大阪のSF大会で公開された『監督 本多猪四郎』にも出させていただき、またこの作品で、以前実相寺昭雄監督のところでよくお会いした服部光則監督と再会できたのも嬉しい出来事でした。
 
 『キイハンター』のDVDボックスで解説を書かせていただいたのも、僕と同じように番組を見ていて、作品を永久保存したいと考えている人たちを前に読むに耐えるのか緊張しましたが光栄でした。

 中村うさぎさんの文庫『芸のためなら亭主も泣かす』の解説を書かせていただき、ヒーロー番組の「預言者」たる作詞家・藤林聖子さんのロングインタビューも実現し、いまをときめく旬の表現者の息吹に触れることが出来ました。
 『憐』の堀禎一監督、『半身反義』の竹藤佳世監督、『岡山の娘』の福間健二監督といった方々が、映画上映に関連したトークに呼んでくださったのは光栄でした。和光大学有志の『実録・連合赤軍』の若松孝二監督とのトークや、「キネマ旬報」の『平凡ポンチ』佐藤佐吉監督のインタビューに呼んでくださったのも嬉しかったです。

 秋葉原の連続殺傷事件に際し行われた緊急トークに出席したときは、自分の態度が問われる思いでした。
 犯人の青年の「私は愛されたかったのではないのです。ただ、愛する対象が欲しかっただけなのです」という言葉は胸に響きました。

 阿佐ヶ谷ロフトエー企画「オトメントークショーでは伏見憲明さん、黄金咲ちひろさん、拙著の刊行記念で行った新宿ロフトプラスワンの「ポニョとハヤオを語り倒す!」では竹熊健太郎さん、氷川竜介さん、ロフトエー「サンタ女子たちとクリスマスパーティー」では中村うさぎさん、枡野浩一さん、永田王さん、岸野彰子さんといった素敵な方々とご一緒できました。ロフト関係者やサンタ女子、イベント協力くださった皆さん、ありがとうございます。

 また講師仕事では新たに専修大学での仕事が加わり、レギュラー以外にも上智大学でのシンポジウムや日本大学芸術学部で宮崎アニメについて話す機会を頂きました。
 学生から音楽やマンガ、小説などいろんなジャンルの最先端を教えてもらい、また戦後の『太陽の季節』から『なんとなく、クリスタル』まで青春文学について連続講義するなど、こちらからも仕掛けていこうと思いました。
 
 毎日映画コンクールでは例年のアニメ部門ではなく、ドキュメンタリー部門の審査員として二日間で十本のドキュメント映画を見続けるという、それまでにない経験も勉強になりました。この仕事を二つ返事でお引き受けしたのは、キリミヤシネマラジオで松江哲朗さんと話したとき「ドキュメンタリーは事実を追っているから偉大なのではない。フィクションとなんら遜色ない『面白さ』を求めていいし、それは可能なんだ」と目を開かれたからでした。そこの部分において、確信が持てていたからです。

 私は百数十カ国をめぐったり、戦場の修羅場を目の当たりにすることはありませんでしたが、この仕事においての確信にブチあたるべくこれからも精進していきたいと思います。

 今年の抱負については、また日を改めて!

 本年もよろしくおねがいいたします。