原田昌樹氏が遺した言葉

  
  ただいま刊行中の「刑事マガジン7」(辰巳出版)でまとめさせていただいた原稿の、はじまりの部分だけを、以下に記します。


  ○原田昌樹氏が遺した言葉

  昨年二月に物故された原田昌樹氏は、『ウルトラマンティガ』(97)以降の平成円谷プロ作品において、ファンタジー色の強い作風で支持を受けた監督である。大人向けの長編劇場用映画では、半分現実で半分空想的な旅情ロマン『旅の贈りもの 0:00発』(06)で知られる。

 「刑事マガジン」的にもリンクする人物だ。藤竜也主演のドラマ『裏刑事』(92)で監督デビューし、『凶獣の牙』(95)『香港黒社会 喧嘩組』(99)など、主として九○年代に数々のVシネマでアクション作品を監督している。『裏刑事』『凶獣の牙』はともに刑事が仕置人的な裏稼業に手を染めるもので、法律だけでは覆えない領域を描いていた。

 そして遺作となったのは、なんと最高裁が自ら製作し裁判員制度を扱った『審理』(08)。地下鉄で起きたある殺人事件を多角的に見つめる現代版羅生門ともいえる内容となった(現在、図書館など公共施設で鑑賞、貸し出し可能)。
 
 この遺作でも「事件は裁いても人は裁かない」をモットーに演出した原田氏は、勧善懲悪の図式に収まらない、人間の持つせつなさや矛盾した心情を、どこか突き放しながらも温かく見つめてきた。この作風の原点は、助監督を務めた『Gメン‘75』に見出すことが出来る。

 自称「Gメン育ち」の原田監督はことあるごとに『Gメン‘75』の思い出話に花を咲かせていた。そのお話は、『Gメン‘75』がテレビ映画としていかに破格で、丁寧な作品作りがなされていたかを如実に物語るものだった。たまたま原田監督と知遇を得ていた筆者は、かつて、それを参考に「刑事マガジン」の『Gメン‘75』回顧特集では取材や執筆に取り組んだことがある。
 
 原田氏は亡くなる一年前に病気で余命宣告を受けた。筆者は監督との約束でこれまでの仕事についての聞き取り作業を数回にわたって行わせていただいていたのだが、『Gメン‘75』に関しては監督になる以前のことであるのにも関わらず、とりわけ熱心に語られていた。公表については一任いただいたので、筆者は伺ったお話の全体を単行本の証言集(アスペクトから秋刊行予定)として構成し、そのうち『Gメン‘75』についての話題から、「刑事マガジン」編集部のお許しをいただき、刑事ドラマに造詣の深い読者諸兄に向けて、先に公表させていただくことにした。

 以下、本文が始まります。
 73ページからです。
 ぜひ皆さん、読んでください!