新しい「懐かしさ」との出会い

  昨日、ウルトラマンの映画「「大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE」の公開初日だったので、見てきました。
  新宿のミラノへ出かけたら、劇場を横断する形で外に列が出来ていて、親に連れられた子ども達がパンフレットを持ち心待ちにしているのが伝わってきました。
  もちろん大人たちもいっぱいいて、一番広い劇場の「ミラノ1」での上映になっていました。
  ウルトラマンの新作が見れるのを、みんな待っていたんだと思い、その列の中に私自身も加われるだけで、なんだかジーンとなりました。

  映画はとても楽しかったです。
  ウルトラマンべリアルがカッコよくって、ぼーっと見惚れてしまいました。でも「あ、あのウルトラマンが」「このウルトラマンも!」と、息つく暇もないお楽しみ要素が満載で、ウルトラマン好きにはたまらないものがあります。

  宇宙が舞台なこともあり合成要素が多いのですが、僕がいいなと思ったのは、スーツアクションが主体となっていて、それを自由自在に合成するということが基本になっていたことです。
  近年のウルトラマンにおけるCGで僕がやや疑問に思っていたのは、ウルトラマン自体の見せ場をCGで動かしている場面があることでした。
  たしかに技術の進歩により年々流麗にはなってきてはいましたが、ウルトラマンそのものが人間の体型を生かしているからこそのキャラクターなのに、それをわざわざフルCGで置き換えることに、やや釈然としないものを感じていたのです。
  今回の映画はボディアクションの魅力が横溢していて、その上で天地左右どこでも使ったアクションになっているので「これぞ、見たかったウルトラアクションの進化系だ!」と思いました。

  それは怪獣についてもいえ、テレビ版の「大怪獣バトル」からの流れであるリトラと、××怪獣と×××(ネタバレ自粛)といった明確にCGでの意義があるものを除いては、基本的にはスーツで、つまり造形物が存在している怪獣たちが、新造形も含めて出てきている。CGで怪獣をデータとしてたくさん出すことだっていまの技術では出来るのに、このこだわりはうれしかったです。
  やはり画面の中に「この怪獣が!」「あの怪獣もいる」と発見するのが楽しみですからね。

  人間とウルトラマンが、宇宙の平和を守るために対等に戦っているのに感激しました。
  前作「大決戦! 超ウルトラ8兄弟」では、ウルトラの星を目指して飛び立つ人間たちのドラマで終わっていましたが、今回ちゃんとその先が描かれている。
  「その先」の未来では、ウルトラマンは仰ぎ見る存在というより、ともに戦う存在です。
  今回、アクションの動機づけのドラマが最小限あるだけで、ひるまず戦い続けるウルトラマンと人間のドラマがひたすら続く。
  昔のプログラム・ピクチュアって、主人公がそんなに思い悩んだりせず、思い入れたっぷりの独白シーンが何分も続くなんてこともなく、タイトに進んでいたじゃないですか。
  この映画にはそういう魅力があると思いました。

  「この世界をずうっと見ていたい」と思いました。
  この戦いそのものが夢見ていた理想郷であり、ウルトラマンキングが言うように、平和を求めて戦い続けることこそがウルトラマンなのだなと。
  僕も大勢のウルトラマンたちともに歓声をあげたくなりました。
  
  つまり、この映画の時間に浸ることには、大人の自分には子どもに還ったような時間となる。
  しかし、この映画そのものは「懐かしさ」をテーマにしていない。
  そこが潔いと思うのです。
  ラストの父子のドラマなども、実にさりげなくて、かえって印象に残ります。
  
  前作「大決戦! 超ウルトラ8兄弟」は人類がウルトラマンにたどりつくまでのドラマでした。
  今回の新作はウルトラマンと同じ目線に立って宇宙を飛びまわれる、夢の映画です。