問題の本質とは〜丸田祥三氏『棄景』剽窃被害4

  
    写真家・丸田祥三氏が同業者の小林伸一郎氏を「盗作」で訴えている件について、丸田氏が先に撮った自然物を、小林氏が後から撮ったことだけが問題となっているという風に思っている人がいるかもしれませんが、それは違います。
    また、それこそが小林氏側がおそらく意図的に広めている視点に影響されてしまっているのです。
   丸田氏が盗作問題について書いているブログ( 小林伸一郎氏側の弁護士から即刻閉鎖を求められていますhttp://blogs.yahoo.co.jp/marumaru1964kikei)にも書かれているように、小林氏側の弁護士は「廃墟は丸田さん以外撮っちゃいけない、っていうご主張ですね」と、いくら丸田氏が「そういうことではありません」と言っても聞く耳持たず、ひたすら鸚鵡のように繰り返しているそうです。
    そうやって連呼することで、丸田氏の目的が自分以外の廃墟写真の封殺であるかのような印象を裁判所および世論に与えようとしているとしか思えません。

    当然のことながら、廃墟であろうがなんであろうが「たまたま」同じ場所を撮影したからといって、著作権侵害になるわけがなく、丸田氏はそんなことを主張しているのではありません。
    丸田氏が先に撮った場所を誰かが「たまたま」写真に撮ってネットにUPしたりしても、著作権侵害になりません。今回の裁判で仮に小林伸一郎氏の盗作が認められたとしても、そういう人にまで累が及ぶことはあり得ません。
    また、丸田氏の写真に影響されて同じ場所で、たとえばカメラの練習のために撮ったりそこに行った記念に撮ったりして、プライベートフォトライフとしてたとえばブログなどにUPしたとしても、それもまた著作権侵害にはなり得ません。

    小林伸一郎氏に問われている盗作の問題とはまったく別なのです。
    小林氏の場合、同じ写真家というフィールドで、口絵写真や記録写真としてではなく、芸術写真として写真集や写真展を行う場所で、丸田氏と類似の作品を発表したことが問題にされているのですから。
    
    著作権法では

   1.著作物へのアクセス可能性 
   2.表現の酷似性 
   3.原告の著作物の著名性、周知性

   これらの間接事実がある場合、逆に盗作ではないことを、被告が独立創作の抗弁として立証しないかぎり、盗作であることになります。小林伸一郎氏はこれに当てはまると、第三者の私にも思えます。

   1は公開されているものですから当然可能です。
   2検証サイトを見れば一目瞭然です。
     http://haikyo.kesagiri.net/    
   3は大手新聞に写真展や写真集の刊行が展示および収録写真の一部とともに記事部分で告知され、写真はテレビなどで使われ、写真集は新人賞を取り、増刷されている丸田氏の場合、十分これに該当していると思われます。

   この三点がそろっているかどうかが重要で、たとえば2だけを問題にし「たまたま同じように撮れることがありうる」と言う人もいますが、複合的に判断されるべきなのです。

   著作権が生ずる対象というのは「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」であり、丸田氏が小林氏を訴えた件でいえば、丸田氏の写真がこれに当たり、被写体の廃墟それ自体に著作権があるわけでもなく、それを丸田氏が有しているわけでもないのです。

   そこを意図的にか混同し「廃墟は丸田さん以外撮っちゃいけない、っていうご主張ですね」と繰り返しているのが小林伸一郎氏および彼の弁護団です。丸田氏がブログで「論理のすり替え」だと言っているのはこのことです。   

   また丸田氏が、小林氏からの著作権侵害がなければ得られるはずであった利益を損なっている場合、それが「被害」となります。

   丸田氏と類似した写真の公表、先日このブログで記したような廃墟イベントでのなり変りの振る舞い、別の場所の廃墟を一冊にしたり題名の付け方など丸田氏と同じスタイルの模倣などで、「小林氏が廃墟写真の第一人者」という認識(廃墟サイトや雑誌の特集記事などに同様の記述が見られます)が広まった結果、丸田氏は「廃墟写真は先に小林が居るから、あなたは他のものを撮ったら載せなくもない」などと出版社から言われた実害があります。
   
   これらの小林氏の行為は、写真愛好家や廃墟愛好家が趣味で撮ってネットなどにUPした写真が丸田氏のものと類似しているというようなこととは、はるかに異なるレベルと規模で丸田氏を苦しめ続けています。

   しかも丸田氏はいきなり小林氏を告訴したのではありません。写真の類似性について十年以上、手紙で誠意ある返答を求めていたのに小林氏が一切無視してきたのです。そして3月までの公判には一度も出席していません。

   私が丸田氏に味方して一方的な見方を支持していると思われるかもしれませんが、私が小林氏に疑念を持ち出したのは、友人の丸田氏への加担の意識からではなく、公判に対する小林氏の態度です。盗作していないというのなら、丸田氏の写真を「見たことがない」と言えばいいのに、そうではない。

   丸田氏の写真を見たのは自分の写真集を出した「前後」などという、きわめてあいまいな言い方をしています。これは小林氏が当時、丸田氏の写真集への感想を友人知人に漏らしていて、それを誰かに証言されようものなら自分が不利になる、という判断だと邪推されてもしかたがないのではないかと思います。

   小林氏が極力公判に出なかったのも、うっかりまずいことを喋ってしまっては不利になるという計算ゆえではないかと思ってしまいます。そして丸田氏より後に撮ったからといって悪いのか、廃墟を撮って何が悪いという論理のすり替えを主戦術の論理にしています。

   そして自分の写真集出版当時の丸田氏の知名度はいかに少なかったか、という誹謗を陳述書などで繰り返し、写真の説明文を引き写ししていたことが指摘されるや、複数のスタッフにやらせたので小林伸一郎本人は見ていない、と言い逃れ。まるで「秘書にやらせた」と逃げ回る政治家みたいです。

   私は丸田祥三と高校時代からクラスメイトで、彼の撮った写真も見てきています。同時代の誰も目を向けなかったものをネクラと言われながら撮り続けていました。彼が撮っているものの価値を知ったのは自分が物書きになってから。ともに見てきたものを対談集「日本風景論」として形にしました。

   小林伸一郎による誹謗は、そんな営為すら「なかったこと」にされてしまうことだと思いました。道端にある何げない風景が、前からそこにあったとしても、丸田祥三という人間の思いと情念で、作品として残ったのです。それを小林なんぞになりかわられてたまるか。これは僕にとっても闘争です。

   たとえ裁判の結果がどうなっても、僕は自分の見方を書き続けます。しかし丸田祥三による小林伸一郎への裁判そのものも、単なる感情論ではなく、著作権の考えの範疇で正統に行われたものであることを、今回書いてみました。

   昨日は、東京地裁での公判に、いままで一回も公判に出なかった小林氏が、当事者尋問なので出ざるを得なかったようです。
   その模様は、また丸田氏や傍聴に行った方が報告してくれるでしょう。
   
   以下は丸田氏の居るツイッターです。
   http://twitter.com/malta_shozo

   はたして小林氏はどんな表情で、どんなことを言ったのか、要注目です。