小林伸一郎提出「追加書面」について〜丸田祥三氏『棄景』剽窃被害6

 
  写真家・丸田祥三氏が同業者の小林伸一郎氏を盗作で訴えた裁判で、原告と被告が最終書面を出し切って一審判決を待つところを、期限通りに出した原告丸田氏側の最終書面を見たうえで小林氏が追加書面を提出した件については、前の日記にも書きました。
  
  この小林氏の、裁判における重大ルール違反についての丸田氏の対処は続報として日記のコメント欄にも付記しましたが、ここで改めて記します。

  地裁知的財産部に丸田祥三が原告弁護士と出向き話合いをした結果、裁判長の判断で7/27までに被告が後出しした「追加書面」に関しての、反論の提出が認められました。
新たな意見の提出は許されず防戦態勢ですが、反論の機会はできました。

 さて小林氏サイドが提出した追加書面の内容ですが、裁判とは無関係な写真を持ち出して虚偽の言いがかりをつけたり、丸田氏側の書面の言いまわしに難癖をつけるなど些末な事項に終始し、争点となっている写真についてはまったく言及がありませんでした。
 少しでも原告の印象を悪くしようという印象操作のために作成された文書であると思えます。

 この追加書面で私が特に気になったのは、小林氏が争点となっている丸田氏の写真の解説を引き写したという事実がありながら、写真の方は見ていないと強弁している点についてです。

 小林氏側はその強弁を補強するために、今回の追加書面で初めて、解説文における、書き手の主観を記したメッセージ性のある部分は小林氏本人が記述し、廃墟の所在地や記述的な説明部分は被告のスタッフや出版社のスタッフらが各種書籍等を探索して記載したものであるという「役割分担論」を掲げています。

 これまで小林氏側は、十年も前の事ではっきりとは覚えていないとか、解説は写真家にとって作品の一部ではないから論じる価値はないとか、解説は本人ではなく多数のスタッフが担当したがいまとなっては顔も名前も覚えていない等、その都度不確定な言い方をしてきていました。

 もし今回の追加書面で記された「役割分担論」が事実なら、なぜそれを最初から打ち出さなかったのでしょうか。
 個人写真集の規模で、顔も名前も覚えていないほどの数のスタッフを使うということの不自然さを丸田氏側の最終書面は指摘していたのですが、それを読んだ小林氏側が、自らの主張の不自然さに対して釈明出来ない代わりに、追加書面の提出ぎりぎりになって編みだした方便であるという疑いを拭えません。

 この「役割分担論」は、そもそも非常に不自然です。追加書面において、廃墟は小林氏自身が無駄足を含め自ら何度も足を運んで見つけ出した場所であると主張しています。そうであるなら、その所在地や記述的な説明を、わざわざ、後になったら顔も名前もわからなくなる程度の、信頼関係を築いているとは思えない「スタッフ」に、書籍など、当人が見聞した事実とは別方向からデータを探させて記述する必要がどこにあるのでしょう。

 しかも、それを自分でチェックもしないなんてことがあり得るのでしょうか。
 「チェックをしていない」というのは、引き写しに関与していないことにするためもともと小林氏がしていた言い訳ですが、今回、同じ解説文の中で他者と「合作」していたと言いだしたことで、余計にそれが怪しくなってきました。他人と文章をまぜこぜにしたものを自分の著作内でそれとことわりなく出す場合、著者がそのトータルな形をチェックしていないというのは、およそありえないでしょう。

 本質論を言えば、小林氏側がもともと主張していた「写真と解説は別」という論理についても、同じ「小林伸一郎」名義の著作物たる書籍の中に入っているものなのですから、解説部分だけが別執筆者だともし主張されるのなら、文責者を明記するなど断りを入れるべきでしょう。そうしていないのに、後になって「そこは自分がやっていない」と言い訳をするのであれば、小林という人物は自分の著作物に対して責任を負っていないということになります。

 今回の追加書面を読むと、小林氏側が盗作の事実を否定することにおいて邪魔になる、解説文の引き写しの事実を相当気にしていて、なんとか打ち消したいとあがいているさまが思い浮かびます。
 それがゆえにルール違反の追加書面提出という挙に出たのではないでしょうか。

 ごまかしにごまかしを重ねて物事の本質を見えなくさせようとする戦術には呆然とさせられます。
 まさにレンズを曇らせる才人、といったところでしょうか。