『ヌイグルマーZ』はいちごみるく色オトメ映画!


 『ヌイグルマーZ』ビジンダー耳のいちごみるく色ヒロインがカギ爪でゾンビをバッタバッタとなぎ倒す姿にシビれました。
 
 ただいま公開中のこの作品、応援の意を表したく、メルマガ映画の友よでの「日本映画ほぼ全批評」から以下、転載します(昨年12月刊行の第2号より)。

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 まるで初めから井口昇監督に捧げているような内容の、大槻ケンヂ原作の映画化である。

井口昇監督の劇場用映画第一作『恋する幼虫』(04)は、お互い接触することのできない男女の純愛物語という主題に、後半突然ゾンビ化が蔓延した世界という事態が被さる。そのことが、頭が食いちぎられた姿……つまりもうキスしたりは出来ない状態でも生き続ける男性が、人血をすするようになった女性に応え続ける……という止揚的表現とあいまって描かれる。ゾンビそれ自体が主題なのではなく、世界観作りのトッピングのように使うというのは、当時斬新だった。

『ステーシー 少女ゾンビ再殺談』でゾンビ世界をベースに少女の純愛を描いていた大槻ケンヂとも、親和性のある世界だろう。

ゾンビというイコンは、日常的な街に彼らを配置して、いくつかの「人を喰う」点描を入れるだけで、この世界そのものが終末に向かっている感覚をもたらしてくれる。それはひょっとしたら、美術セットで世界観を作り上げるよりも、ずっと効率的なのかもしれない。

本作でも、ある女の子にひたすら仕える女性の純愛物語……という主題に、ゾンビ化が蔓延する地球という事態が被さっている。

ゾンビが跋扈する世界なら、平和な一家の団欒が突然乱されてもおかしくはない。そしてヒロインは、愛する女子(市道真央)に襲いかかるゾンビどもを、ショッカーの戦闘員のように、バッタバッタと蹴散らしていくのだ。

中川翔子演じる主人公が変身して「仮面」ヒーローになるのではなく、また別の顔の女性(武田梨奈)に変身する――という、見る前はいささか無理があるのではないかと思えた展開も、守る当の相手に認めてもらえないという「悲劇のヒロイン」構造をより浮き彫りにすることに寄与していることがわかった。

もうひとつ、本作は『マン・オブ・スティール』にもあったように、同じ母星を追われた者が善玉と悪玉に分かれ、対立するという構造がある。両者ともにクマのぬいぐるみとなって、人間とコンビを組む。大人になった主人公が、本音トークをするぬいぐるみ(阿部サダヲが声を演じる)と言葉を交わし合うというのは、もちろん『テッド』をも思わせる。

『テッド』を支持した日本人観客はオタク男子ばかりではなく、ぬいぐるみ好きな女性もいっぱいいた。本作は『テッド』では叶えられなかった、女子本人に喋るぬいぐるみを与えた映画ともいえる。

従来、女子が主人公になったスーパーヒロインものは、女子が男子に代わってヒーローになって「世界」を救うものだった。これは男子が女子に変わっただけである。

あるいは、よりリアルに考え、女子が愛する一人の「男性」を守るヒーローを演じるというというのはどうか。しかし、それは盲執にはなっても、客観的な視点ではヒロイックに見えないかもしれない。ヒーローには、やはりストイックさがなければならない。

そうしたありがちな軸を避け、女の子がもともと本質的に持っている「同じ女子のことを意識する」という物語に同調させながら、昔からある「お姫様に尽くす女子とお姫様である女子」という、鏡像的物語を軸にしたスーパーヒロインものを成立させる。これは鮮やかなやり方といえる。

主人公と敵対する側にある黒いテディベア(演:山寺宏一)は、背の低いことがコンプレックスである男(猫ひろし)とコンビを組み、性的弱者であることの恨みつらみが、もともとあった宇宙のエネルギーを負の方向に使わせる。

だが今回、物語の焦点は女性同士が対峙することの方にあるので、これは、女子的世界の中に入っていけない男性のオタク観客に対して、用意された回路なのかもしれない。
この悪玉がなくても、世界にはゾンビが跋扈し、ヒロインは愛する女子を守って戦い続けるのだから。


ヒーロー度  ●●●●●
オトメ度   ●●●●●
ヌンチャク度 ●●●●
ゾンビ度   ●●●

原作 大槻ケンヂ
監督 井口昇
脚本 井口昇継田淳
撮影 村川聡
出演 中川翔子
武田梨奈
市道真央 猫ひろし 高木古都 北原小夏 ジジ・ぶぅ
斎藤工 平岩紙
山寺宏一(声) 阿部サダヲ(声)


1月25日〜
全国劇場公開

公式サイト http://ngz-movie.com/

  
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