第2回「映画の友よ」イベントのご案内

来る8月23日(日)メルマガ「映画の友よ」イベント行います。
「ブルーレイ、DVDはおろか、家庭用ビデオデッキもない時代の方が、映画を見ることが楽しかった」という声を聞きます。
映画学校でさえ、まず「映画の見方を教える」時代になっているという皮肉な逆転。

映画を語り、楽しむためのアプローチとして2013年12月よりスタート、足掛け三年「夜間飛行」から発行してきたメルマガ「映画の友よ」(http://t.co/F20g9Y9mfh
のイベント第二弾。

映像と原作の違い、役者の実人生と映画、日本とは違う文化に触れる楽しみ・・・主宰の切通理作はじめ、連載執筆陣、そして告知動画を作成した監督がふたたび集結。メルマガ読んでない方、前来れなかった方も是非お越しください!


演目
高畑勲論 『赤毛のアン』編(切通理作
・シネマDJ〜映画とロックが火花を散らす?〜『花火思想』監督・大木萠、キャメラマン・阿佐谷隆輔
・ハリウッド特撮に日本の昭和ヒーロー精神を見た!(オンラインVHSレンタル「カセット館」後藤健児)
ジョセフ・ゴードン=レヴィット「八の字トリオ」の魅力とは?(小佳透子)
・世界を知るための映画/インド『めぐり逢わせのお弁当』(山口あんな)


2015年8月23日(日)18時開場 
阿佐ヶ谷「よるのひるね
8/22までのご予約\1000+1drink\500 当日\500高
電話03-6765-6997 Mail yorunohirunepro@gmail.com
JR 阿佐ヶ谷駅北口 ロータリー左手不動産屋角曲がってすぐ見える八百屋さんの向かい


2013年12月よりスタート、足掛け三年夜間飛行から月二回発行してきた切通理作メルマガ「映画の友よ」二回目のイベントです。

私の基調講演の高畑勲論は、第一回の『母をたずねて三千里』に続き『赤毛のアン』がテーマです。

今回再見していて、『赤毛のアン』は『かぐや姫の物語』の原点だと気付きました。その部分も含めて「アニメが迎えた思春期」を語りたく思います。

そしてゲストは、映画監督の大木萠さんと、脚本家・カメラマンの阿佐谷隆輔さん。前回は挨拶代りの御出演でしたが、今回は当イベントのために本格的に「シネマDJ」をやってくださるとのこと。
どんな内容になるのか、いまから楽しみです!

そして大木萠監督と、脚本家・カメラマンの阿佐谷隆輔さんは、メルマガ「映画の友よ」の告知動画を作ってくださった人達でもありますが、恒例となった、メルマガ告知動画の新作(第3弾)の先行上映も行う予定です。

加えて、今回はなんと、動画に出演されている女優の安部智凛さんがゲストに登壇されます。

※第1弾 http://youtu.be/cpZF0LoDRCk
※第2弾https://www.youtube.com/watch?v=TaQdg-X6GEM&feature=youtu.be

レギュラー執筆陣からは、オンラインVHSレンタルショップの後藤健児さんに、『進撃の巨人』ブームにも絡めて、ハリウッド特撮に日本の昭和ヒーロー精神を見る考察プラス、来月カナザワ映画祭が公開されるため、それに合わせて、カナザワ映画祭ウォッチャーとして見どころを話して頂きます。

日本の観客が、自分の生活と比べるところを思い浮かべやすい映画についてテーマにされている連載『世界を知るための映画』の山口あんなさんには、映画『めぐり逢わせのお弁当』の話題をメインに、インドのお弁当事情を語って頂く予定です。

ハリウッド俳優の魅力の見つけ方、その魅力が生かされた作品を探す楽しみ方の連載を執筆されている小佳透子さんには、『(500)日のサマー』『50/50』等で知られるジョセフ・ゴードン=レヴィットの魅力について語って頂きます。

「映画の友よ」第2回イベントは8月23日(金)夜6時開場。JR阿佐谷駅にほど近い「よるのひるね」というお店が会場です。 https://twitter.com/yorunohirunepro  
6/18までのご予約で1000円+1drink\500円 当日500円高です。
電話03-6765-6997 yorunohirunepro@gmail.com
JR 阿佐ヶ谷駅北口 ロータリー左手不動産(杉山商事)角入って20m

予約はお店にも出来ますし、私に直接でも大丈夫です。
また、当日いきなり参加ももちろん歓迎です。

夏は終わっても、映画は終わらない!
ぜひ向い酒ならぬ向いイベントお越しください。

戦争と棄民〜8月15日に問う


今日は8月15日ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
以前からお伝えしている通り、私の次の本は長崎で被爆した母との対談「85歳の被爆者 歴史を消さないために」。爆心地1.2キロメートルでの被爆の実相。その時何があったのか。そして何が始まったのか。もし興味を持たれた方は、以下の文ご一読下されば幸いです。→http://t.co/gg4C7EaSox
この本の事もあって、ここ数日、敗戦や被爆の事を扱ったテレビ番組を複数見ていました。

NHKスペシャルで放映された、『きのこ雲の下で何が起きていたのか』という、広島の爆心地にほど近い御幸橋という場所で、投下から3時間後に撮られた写真を解析した番組は印象的でした。

私の母は長崎で1.2キロの距離にて被曝したのですが、2キロ以内は「壊滅地帯」と呼ばれ、1.2キロは2人に1人が亡くなった距離だ……と説明されます。

御幸橋は爆心地から2キロメートルの場所にあります。
この写真は現在の御幸橋のたもとに飾られています。

被爆での死者の多くは火傷でしたが、熱いからと川に飛び込んで死んでいく人も多数いました。

原爆で「フラッシュバーン」という、皮膚が裂けて垂れ下がる状態になれば痛覚神経がむき出しになり、その痛みは他にたとえようがなかっただろう……そうした事も写真から読みとる事が出来ます。最新医学含めた専門家の分析が語られます。

番組はさらに、写っている人々を特定し、この日橋を渡った人含め総勢30名から証言を得て、複合的に事実を再現します。

そして、写っている人の多くが子どもだったという事実に焦点が当たります。

戦地に行った大人の代わりに、工場などで労働していたからです。広島の被爆者でもっとも多かったのは13歳前後の子ども達だったのです。
2キロ圏内の中学生は、およそ8千人居ました。

むろん長崎も同様です。
「もちろん、学徒だけの犠牲だけではなく、全部の犠牲者に痛みを感じますが、14歳や15歳の子供が学業を捨てさせられ、 工場労働を強いられて、あげくに原爆死というのはあんまりだと思うのです」という、私の呼びかけ文で引用した母の手記にある文言(http://t.co/gg4C7EaSox)と、これは重なります。

御幸橋では、救助に来た日本兵が、成人した若い男を優先的にトラックに乗せ、「女子供は後回しだ!」と、乗ろうとした女の子をシャットアウトする場面に出くわした男性の証言もありました。

そうやって拒絶され、行き場のなくなった少女が、両親を亡くした街の炎に向かって駆け去っていくのを見て、自分は何も出来なかった……と後悔の証言をする、当時20歳の、その男性。

「大人なら、自分たちが戦争をしているのだから仕方がないと言えるかもしれない。しかしそういう子どもたちは、何の罪もないのです」といまや老人になったその男性は言います。

「助けを求める小さな声さえかえりみられない戦争の現実があったのです」というナレーションが付されていましたが、ここには、善い、悪いでは片づけられない、まさに戦争の「現実」があったのだと思います。

「戦争」をしている以上、兵力になる人員を優先的に確保する事は、間違っていないからです。

問題なのは、そうなってしまった時の、民衆が置かれる状態です。
弱い「女子供」は、見捨てられる――「戦争」である以上、このような事になるというのはひとつの必然であるという事を事実として認識したうえで、未来に生きる我々は、これからを選択しければならないのではないでしょうか。

被爆した人の多くが、自分や自分の家族の事で精一杯で、周りで苦しんでいる人達を見ても、どうする事も出来なかったという「深い悔い」を抱えて生きてきたと語っています。

その後悔の念は、その場に居合わせた人々のみの「トラウマ」として片づけられるべきものなのでしょうか。そういう状況を呼び込んだ、そしてこれからも呼び込む可能性のあるすべての人間が、問われなければならない事ではないでしょうか。

それはむろん、核兵器そのものの使用に関しても、同じです。

あの日御幸橋に集まっていた、負傷した人々の写真は、民間の日本人によって撮られたものでしたが、アメリカによって没収され、公開が禁じられていました。

投下7年後、1952年の『LIFE』誌に載ったのが公表された最初です。

写真が公表されなかった7年の間、アメリカ国民は「核兵器が必要だと思うようになった」と番組ナレーションは解説します。

「この写真を見たら、核兵器は許されるものではないと、アメリカ人も気づいたはずです」というアメリカ人自身の証言を番組は紹介します。

もちろん、それは甘い認識だという声もあるでしょう。

核兵器の問題はパワーバランス的に考えると、廃絶は現実的でないという判断は無視できないと私も思います、しかしそういう状態になるまでの段階で、アメリカ国民自身のメンタリティにとって「被爆の隠蔽」が必要だったとみなされていた事を、我々日本人は、決して忘れてはいけない。

そして日本は、核兵器を持たない代わりに原発を持つ事を、アメリカから推奨されてきました。

作家の福井晴敏さんは、『小説・震災後』という作品で、こういうことを書いています。

東日本大震災の時、東京でその揺れに出くわした人々は、しばらくの間、その日どこでどう過ごしていて、どのように家に帰れたのかなどを語り合った。
けれどその後、被災地の人々の終わりの見えない苦難や、原発事故の予想外の大きさに圧倒され、ビルディングひとつ倒壊したわけでもない、東京で感じた揺れなどに拘泥するのは小さなことだとばかり、記憶の片隅に追いやってしまった。

しかしあの時感じた「地面の揺れ」が記憶の中で再現される時に、人々が無意識に読み込んだものがあるのではないか?

原発の千本以上の燃料プールに注水が成功するまでの数日間、日本の国家は、国民保護の原則を放棄し、それがもし失敗した最悪の場合のことを秘匿して、東北・関東全域の避難勧告を出すことをしなかった。否、やろうと思っても出来なかった。

その時、それまで守られて当たり前だと思っていた「平和と安寧」は崩れた。一時とはいえ見捨てられた……つまり<可能性としての棄民>を我々は経験したのだと。

それがあの「揺れ」の時に決定づけられた……のだと福井さんは言うのです。いくら表面をその後の日常で糊塗しても、あの足元がぐらついた不確かな感触は憶えている。もはや無辜の民ではいられない時代。

これから原発の再稼働を容認していく社会に生きる我々大人達は、その同じ罪を背負う事になります。

その時、自分を<無辜の民>だと言っていいのは、まだ年端の行かない、子ども達だけだという事を忘れてはいけません。

我々大人たちは、3・11以降の現代社会で、既に子どもたちを被爆させてしまっているのですから。

私の呼びかけ文のタイトル「『被爆者』が日本に一人もいなくなる日も近い」は、正確には「『原爆被爆者』が日本に一人もいなくなる日も近い」」が正しいでしょう。

母は若い世代が被爆する社会を作ってしまった責任を、被爆者として感じました。

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原爆の被害をうけた唯一の国、日本が、原子力を使った発電所をつくってしまったことに、私は大変ショックをうけました。
どうしてもっと反対しなかったのだろう。危険だと思いつつ、『平和利用ならいいではないか』と、ばくぜんと思っていました。
反対はしましたが、それは真剣さが足りませんでした」(母の手記からの引用より http://t.co/gg4C7EaSox
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70年前に原爆が落とされた意味、その後一週間待たずして始まった戦後社会で隠蔽されてきたものの意味を問う事は、我々一人一人の立ち位置を認識する事につながります。

広島に原爆が落ちた日に

今日は広島に原爆の落ちた日ですが、この日に合わせて収録していた、母からのメッセージ動画を公開します。
https://youtu.be/5w92T6sBOJM

原爆が落ちてから70年目、かつて15歳だった母が「被爆者が日本から一人もいなくなる日も近い」という思いから、85歳のいま、呼びかけます。
長崎で被爆した母・狩野美智子と、戦後世代の息子・切通理作との対談『8¬5歳の被爆者 歴史を消さないために』の企画を進めています。
もし興味を持たれた方は、以下の文ご一読下されば幸いです。
http://osu.pw/adcc

ここ数日、関連のテレビ番組も放映されています。
昨日夜7時半放映のNHKクロ−ズアップ現代『ヒバクシャの声が届かない 〜被爆70年 “語りの現場”で何が〜』を見ました。

被曝者の平均年齢が今年初めて80歳を越えたといいますが、番組は彼らが老齢から語る機会を持とうとしなくなったのではなく、彼らの声を聴く用意のあるたとえば学校が20年前から半減したと言います。
自ら原爆ドームに赴き、積極的に証言集を読んだ若い小学校教師が「子どもにトラウマを与えたくない」という理由で、被曝者自身を証言者として呼ぶのをやめたことが紹介されます。この学校は6年前から被曝者の話を聴くのをやめています。

一方、長崎の学校に呼ばれ生徒の前で被爆体験を語った男性が最後「個人の意見」と断った上で、被爆した自分は原発に反対だと言った途端、教師が話を遮りました。
話が政治的なところに触れたからだと、後にこの教師は語っています。

被曝体験を聴く機会を持ちながら原発の話を遮るこの教師はつまり、自身も原爆と原発が同じ「核」だという事を教育現場で教える事が出来ないという事を意味するのではないでしょうか。
そして被曝体験を聴くという事を、3・11原発事故という「いま」と決して関わらせないという事は、「歴史」を「いま」と無関係なものとして教え続けるという事でもあるのではないでしょうか。

番組コメンテーターの大学准教授(自らの祖父達も被曝したという)は、被曝者の語りを聴き平和の大切さを知るという事がもう定式化したから教育現場で求められなくなったと分析しました。

しかし、もしそんな定式化が働いているとしたら、それはやはり、彼らの語る歴史を「いま」と関わらせないようにする力が働いているせいもあるのではないでしょうか。

同番組では、ある被曝者の男性が、直接子どもたちに証言するのは押しつけなのではと悩み、まず教師に体験を説き彼らから斟酌して伝えてもらおうとしている姿が紹介されました。

その伝え方の工夫には頭が下がりますが、私個人は子ども時代、先生の話より直に体験を語る大人の話が後々まで印象に残っています。
彼らの話には、そのままでは教育上そのままよしとされる事ばかりではないかもしれません。しかしそれこそ、その人を呼んだ意味の核たる部分を教師がわかりやすく解説すればいいと思います。

私自身、長崎で被曝した母との対話を通して、直接被曝した人間がいなくなっても、語り継ぐとはどういうことか模索しようと思っています。
と同時に、いま生きていて、語りたいと思っている人との風通しをよくしたいとも思います。そして何より「いま」と関わらせない歴史など語っても、何も伝わらないと信じます。

「間」の世代の役割〜戦争体験者と今の若者との

先日、7月25日から開始された「85歳の被爆者 歴史を消さないために・新刊プロジェクト」の「御協力のお願い」を以下のURLにUPしました。
http://osu.pw/adcc

これは、私の次の本に関する呼びかけです。

長崎で被曝した母の戦中戦後体験を聴く対談集という、映画書ではなく、特撮の本でもない、従来の私の本にない企画であるばかりでなく、刊行形式自体も従来の本とは違った形ですが、上のリンクを読んだ方から、ご支援のメールが届き、大変感謝しております。

頂いたメールを読むと、被曝体験者や戦争体験者の世代ではなく、私と同じような、戦争体験者といまの若者の間に立つ世代の方からが多いようです。

作曲家の福田裕彦さんからは、以下のメールを頂きました。

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福田も、かねがね、先の戦争について、そして原爆投下、という形で迎えた戦争の終結について、「我々世代が次の世代に何が語れるのか」を考えてきました。
しかし、完全な「戦後派」、というより、「既に戦後ではない」高度経済成長の中で育った自分たちが実際にできることはきわめて少なく、せめて、自分の子供たちには、戦争の具体的な記憶者である自分の父母から漏れ聞いた話を口伝で伝えていく程度のことは厭うまい、と思い続けて今に至ります。
今回のこの企画は、まさに、福田が「しなければならない」と思っていたことを,より深いかたちで具現化していただいたもので、ほんとうにありがたく、かつ嬉しいものです。
二冊購入させていただいたうちの一冊は、今年結婚する息子に贈ろうと思います。
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私も、その「間に立つ世代」の役割について考えた結果の呼びかけでしたので、まさに「意図が通じた」と思い、とても嬉しかったです。
御本人に許可を取って、転載させて頂きました。

御家族に戦争を体験された方がいらして、生前にそのお話を充分に聞くことが出来なかったという思いから、今回の企画に賛同くださったという方も複数いらしました。

御自身のほかに御子息や、身近な若い人のためにもう一冊購入希望出して下さる方もいらっしゃいました。

また、御支援頂いた方は出来あがった本にお名前を記載させて頂くことにしているのですが、記載させて頂く「協力者名」について、御子息の名前にしてほしいと希望する方もいらっしゃいました。

自らの家の中に受け継がれたものの中にある「戦争」の記憶。そこを生き抜いてきた方々の思いの、すべては無理でもその「核」となるものを探り、未来に引き継いでいきたい……。

この本に記させて頂く方々のお名前は、単純な「購入者名」ではなく、未来に向かっての生きた言葉を残していきたいという思いを持った方々のお名前なのだと、肝に銘じながら、編集作業を続けます。

敗戦の夏、15歳だった

 7/30(木)ニコ生フレームチャンネルの番組「切通理作の新宿地下教室」本格第一回め放送行います。

 特集は「敗戦の時、15歳だった」。
 告知が始まりました母との対談集『85歳の被爆者 歴史を消さないために』についての話題から始まり、
8月1日より公開される映画『ソ満国境 15歳の夏』監督松島哲也さん、脚本友松直之さんをゲストとしてお迎えし、トークします。
 http://nico.ms/lv229217069

 敗戦直前の1945年夏、15歳の少年たち130名が最前線であるソ満国境で経験した事実をもとに描いた『ソ満国境 15歳の夏』は、
いまの15歳と70年前の15歳が重なるところに、作者が現在に問いかける姿勢を感じました。


 方や私の母は15歳で原爆に遭い、ほどなく敗戦迎えたのですが、
以後自分の生き方を自分で選ぶという、価値観の転換があったといいます。

 それは実は『ソ満国境 15歳の夏』のテーマでもあると私は思っています。


 「戦後」のターニングポイントがなんだったのかを考えながら、
いまの時代はではどうなんだという話をダイレクトに出来ればと思いました。


 松島監督も「30日、新宿と映画、今日の日本がどこへ向かっているのか等、
柔らか真面目にお話させて頂ければ幸いです」とおっしゃって頂いてます。

 ぜひ見て下されば幸いです。


※ニコ生フレームチャンネル「切通理作の新宿地下教室/特集・敗戦の時、15歳だった」http://nico.ms/lv229217069
 

※『ソ満国境 15歳の夏』オフィシャルサイト http://15歳の夏.com/
※『85歳の被爆者 歴史を消さないために』出版プロジェクトのお知らせ http://osu.pw/adcc

『映画の友よ』Vol.035ただいま配信

偶然!メルマガ『映画の友よ』最新号配信日に『進撃の巨人』監督とTBSラジオで対面するとは(本日10時40分ごろから)。
長編批評「『進撃の巨人』前編こう見た」の内容、読んだ人は洩らさいように!

切通理作メルマガ『映画の友よ』Vol.035ただいま配信しました。
http://yakan-hiko.com/risaku.html

<『進撃の巨人』前編こう見た>
<『バケモノの子』は時代の子か>
<『野火』出演俳優の身体作りと千人針>
<娼婦から見たタクシー・ドライバー>
<大木萠監督『映画の友よ』CM動画第二弾>
<「未体験ゾーンの映画たち」傑作選>
<特撮本でも映画本でもない!一足早い告知「僕の次の本はこれです!>
<『スターウォーズ/フォースの覚醒』ドーナル・グリーソンにツバつけろ!>
ロビン・ウィリアムズ最後の主演作の仰天内容>
<インドでゾンビはこうなった>
宮崎駿の言葉と、細田守が継承したもの>
<韓国の能年玲奈橋本愛をさがせ!>
<俳優が演じる「モテない男」に嘘くささを感じさせないための条件とは?>
<突き付けられた「才能を持つ者」と「持たざる者」>
etc……

連載執筆陣の齋藤隆文さん(俳優)、後藤健児さん(オンラインVHSレンタル店
「カセット館」館長)、藍川じゅんさん(作家)、小佳透子さん(ハリウッド眼福女子)の皆さま、ますます快調です!

http://yakan-hiko.com/risaku.html


購読一カ月無料です。その期間だけの購読(2号分読めます)でもOK!

初めてのニコ生番組、タイムシフト視聴期間中!

月曜日、私にとっての初めてのニコ生番組、第0回終了しました!
Frameチャンネルさんのタイムシフト視聴が出来ます。http://live.nicovideo.jp/watch/lv225851158  

前半は再開発と昭和譲りの混沌が今の段階ではまだ同居する「新宿」からの発信を活かした内容にしたいという公開編成会議、
一時間過ぎた後半は酒鬼薔薇の本『絶歌』について。ゲストは漫画家のドルショック竹下さんでした。


見る側にとってはかなり唐突に始まったこの番組、心の準備もない人が多かったと思います。
タイトルもまだ決まってない第0回だし、数十人の人が見に来ればいい方かなと思っていたのですが、
400人近くの方が見て下さり「月曜の夜にしてはいっぱい見ている方」と担当の荒井さんから言われて、嬉しかったです。

ありがとうございました!

ドルショック竹下さんは前半のはっちゃけぷりと、後半の硬派なコメントの緩急が素晴らしく、これからも折々出てくださればなあと思いました。

前半と後半の話題の乖離が生じる事が不安だったのですが「かいくぐる」というキーワードで、見事つながったのに驚きました。これぞまさにナマの力!

長年エロ業界に居た自負がある担当の荒井さん曰く、
「きわきわの事をやって生きて行くためには『なんでもあり』ではだめ。かいくぐっていく知恵が必要」。
だから、「元少年Aの出版を許したのはアウト」だと言います。

実は今回、酒鬼薔薇本の出版に関して、荒井さんと僕ではまったく意見も関心の方向性も違い、
初回からこうまで対立してていいんだろうかと思いながら始めたのですが、
結果的には、荒井さんの言う事もよくわかったし、建設的な議論の場になったと思います。

神戸連続児童殺傷事件を起こした「元少年A」の手記出版は、被害者少年の遺族が絶版と回収を求めている事が知られており、
「それでも買う」という事自体が、読者一人一人に、
出版の是非そのものが覆いかぶさって来るような、かつてない重みがあります。

私は「それでも買う」方を選びました。
事件当時、その少年像についてコメントや文章を書いた者として、当の本人の声を、読まないままでいる事は出来ませんでした。

ドルショック竹下さんは、本にびっしり付箋を付けた私のコメントを咀嚼しながら、そこから異常性ではなく、
「誰でも感じる事」を見出し、その上で、彼と一般の人の違いはどこからきたのかという観点で終始話されていました。

普段から過激な言動ではっちゃけているように見えるドルさんが、
きちんと「異常な事」と「普通の事」の分水嶺を見定めていこうとされているのだなと改めて感じ惚れ直しました。

カオスと管理、その中でかいくぐって生きていこうとするパワー・・・
それが変貌する新宿を起点にするこの番組の基本姿勢につながるのではと思いました。

タイトルは、「新宿地下教室」にしようかと思っています。
ゼロ年代に入ったばかりの時、ロフトプラスワンで立ち上げて、二回ほどやって中断したままになっているイベントタイトルから取っています。

実は「新宿地下教室」も、この秋、ロフトプラスワン20周年イベントの一環で復活させる案があります。

20数年前には、タイトルだけ付けて投げだしてしまった感のある「新宿地下教室」を、極める事が出来ればと思います!

Frameチャンネルさんの新番組「新宿地下教室」、僕は月二回ぐらいはやりたいのですが、また今後の生放送予定UPさせて頂きます。

一昨日の放送は向こう一週間ぐらい、タイムシフトで見れる予定です。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv225851158