愛・地球博の映像 押井守編

PaPeRo2005-08-25

中日新聞プロデュース共同館「夢みる山」のテーマシアター「めざめの方舟」は押井守が総合演出を手がけた。一回の定員は250人まで。民謡歌手に万葉集からの大和言葉を歌わせる趣向を凝らしたお馴染みの音楽はもちろん押井作品の常連作曲者・川井憲次

 こちらは僕と記者氏の応対をしてくださった取材担当氏のリキの入れ方が違う。
 とにかく押井守が乗り移ったかのような人。

 他の館の映像パフォーマンスは、先述したように部分的には場内の立体を動かして、映像での3Dとつなげて見せるものが目立ったが、こちらの映像パフォーマンスで、場内に吊り下げられている三つの顔と六つの手を持つ、天と地を繋ぐ森羅万象の象徴だという精霊の球体間接人形「汎」(品田冬樹氏造形)は、約十分間の映像が終わるまで特に動くことはなかった。また周囲に3〜4列埋め尽くされている鳥の頭の擬人立像139体(私が行った期間は「鳥」がモチーフの映像だったが、2カ月ごとに演出テーマが異なる全3バージョンの映像がありそのたびに変わる動物のモチーフによって首がすげ替えられるらしい。また3バージョンそれぞれに「鳥」が12、「魚」が24、「犬」が12種の演出違いがあるという)もべつに稼働しない。

 期間中の他の2つの映像では立体とのコラボも出てくるのかと思い、例の取材担当氏に訊いてみた。
 「あの人形は動かないんですか?」
 そしたら、ちょっと心外そうな顔をして、彼は言い放った。
 「ロボットには興味ないんですよ」

 なにか失言してしまったんだろうかと私が思っていると、
 「今の技術でロボットをやっても子ども騙しにしかならない、というのが押井守の考えなんです!」
 そうだったんですか。し…失礼しました!

 僕の頭の中に、たどたどしい動きで拍手を受けるこれまで見てきたいくつかのロボットの姿がよぎる。

 そんな僕に担当氏は語り始めた。球体間接人形は千手観音のような人の形をした曼荼羅で、形に魂が宿るということを願って作られた「依代」なのだ。
 なるほど、動いてしまわないことで宿るものもある。でも仏像ならわかるけど、オリジナル人形を作って、見る者にイキナリ物神性の思い入れまで要求するとはすごい。

 取材担当氏はスロープに上がって二度目の鑑賞をする私の横で解説を続ける。
 僕が見に行った時にやっていたのは『百禽(ひゃっきん)』編。巨大都市の廃墟の上を飛ぶ鳥の目になって動く真俯瞰映像。
 映像は空飛ぶ鳥と、人間の文明との衝突を描いていて、このままでは「両者相打ち」になってしまうことを示している。
 なるほど、最後に羽毛が舞うのはそういうことだったのね。

 上(スロープ)からも下(アリーナ)からも映像が見れるようになっていて、下から見る場合は映像が写っている画面を足で踏むような感じで鑑賞する。床に敷き詰められた50インチのディスプレイ96台(横方向に8台、縦に12台)をネットワークで繋ぎ、高精細映像を約10メートル四方の大画面に一枚絵として映し出す。画面に写る生命や自然を足で踏んでいるわれわれ自身……それは、自然と容易に共生できるという人間の思い込みを撃っている。つまりこの愛・地球博の偽善性を撃っていることにもなるのだなと私は思った。この効果を出すには投影式だと客の影が映ってしまうのでモニタ埋め込み式にしたのだという。

 自然の中に人間を放り込み、自然への恐れを取り戻させる。
 天井・壁・床の360度を映像が覆うが、それぞれの視点は分断することによりふたたび組み合わさっている。これは人間にはもう自然を自明のこととして体感する能力が失われていることを示しているのかもしれない。同行した記者氏は「三十三間堂のようだ」とため息。ここはひとつの宇宙モデルなのだ。そして中心に居るのは否応なしに人間。球体間接人形はテクノロジーに縛られ、チューブにつながれたわれわれ自身の姿でもある。こんな自分たちが「神」になってしまうという皮肉。

 天地の映像は時に逆転する。
 氏の説明を聞いていると。まるで押井守さんにインタビューしているような気分になってくる。
 鳥の目は自然の象徴であるとともに、空からの人間への攻撃にはあの「空爆」の象徴も込められている。そう言ってから、彼は名刺を取り出した。先ほど名刺交換した際とは別バージョンの名刺。そこには、映像に登場する3動物の他に3種類の擬人像が描かれていた。この幻になった「軍神」の要素が、他の動物の中にも組み込まれ、時には戦争を象徴するのだ。

 ただただ圧倒されるばかりの担当者の熱弁だが、それもそのはず、彼はこの展示を企画した張本人だったのだ。これだけの映像展示を企画しただけあって実にキレ者という感じの人物だが、同時におそらく超熱心な押井ファンというか、押井シンパの人でもあるんだろう。そういう人に恵まれること自体、押井守の才能だ。

 展示映像を下からと上から二回見た後は、控え室のモニタで、今回上映した以外のバージョンの映像をDVDで見せていただく。象形文字のようなものが浮かび上がる映像には、動物を意味する字の組み合わせが配列を組み替え、やがてらせん状の模様とダブっていく。「生命はみんなつながっているということなんですね」
 人間のお腹の中の映像がスキャンされたものが映し出された後、赤ん坊の顔が犬に変わる映像。
「モーフィングというあえて古い技術を使っているんです。人と犬は逆になっていたかもしれないというのが押井の考えなんですね」

 そして登場する人と犬が合体したような生物は「キメラ的存在で、もうひとつの進化なんです」

 以上は押井守が今回の3作品の中でもっとも力を入れたという『狗奴(くぬ)』編。押井守の「犬」へのこだわりが濃厚に出ている。

 後は深海、海面、天上界と移動する『青鰉(しょうほう)』編がある。

 私は以前あるところで『イノセンス』について批判的に書いたとき、あるサイトで押井シンパの人から、こんな人間にプロのもの書きの資格があるなんて思えないと書かれたことがある。お前には押井守がひとつひとつのイメージに込めたものがわからないのかと。押井守の言葉を読め、公式本を読め、プロのライターのくせに勉強が足らん、と。
 まさに「すみません」という感じだ。

 いままでに出た新聞記事のあの評が良かったという話を担当氏がする。暗に「つまらない記事は書くなよ」と言われている気がする。

 『イノセンス』の作業とこの仕事は押井守にとって一部同時進行だったというが、私は以前『イノセンス』のことを、「前作の繰り返しのストーリーに博覧会映像のような絢爛豪華な意匠が付け加わった映画だ」と書いたことがあったが、実際に博覧会映像と同時進行だったのね。

 しかし押井守という人はたしかに博覧会映像にはぴったりの映像作家だと思った。
 博覧会映像は一回十分前後が限度だから「ドラマ」を語るには短すぎる。「イメージ」を羅列していくしかない。しかし博覧会のために上映される以上、ただの感覚を刺激するだけの映像ではダメで、そこには「コンセプト」がなければならない。かといってお題目ばかりでもウンザリする。とすると「イメージ」それ自体に「コンセプト」をひとつひとつ込めていくのが最良の方法となる。僕は映画としてみた場合、そこが押井守作品に積極的になれない大きな理由になっているのだが、博覧会映像として捉えるならば、目的を果たしているといえる。
 また、なにもかも手取り足取り見せる子ども騙しの博覧会映像よりはナンボかマシだ。
 そういう意味では、少なくても僕にとっては『劇パト2』以降の押井作品の中では、ベスト作と呼んでいいかも?

めざめの方舟 OPEN YOUR MIND COMPLETE EDITION [DVD]

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