翼あれば

  朝起きて資料読む。
  長い間更新していなかったHPの部分更新。
  その一環でこの日記も久しぶりに書いている。
  HP、トップページの一言の入力URLがわからなくなってしまった。  
  実家のパソコン見ないとわからないので週末になるだろう。
  せっかく部分更新しても、トップがチムニーさんの四月の展覧会の告知じゃ、しまらないなあ。
  わしズム読んだ人はわかるだろうがそういう事情で今僕は週の四日東京じゃないところにいます。
  週末のみ東京にいるのです。
  この日記のパスワードも思い出したことだし、これから前後埋めていきたいと思います。
  
  ヨーカドー以外で大怪獣バトルできるデパートが見つかったので、三回プレイする。そのデパートの百円ショップのコーナーでカードファイル買って怪獣カードを収納。
  デパートの書店で岡田斗司夫唐沢俊一の「オタク論!」買う。途中まで読む。

  夜は昨日ではずみがついたので『泣いてたまるか』の金城哲夫作品「翼あれば」を見る。
  昨日見たナキラの話は怪獣にのめり込む男の話だがそれはあくまで企業戦略のためだし、彼の無心な努力が美女に評価され、仕事ではドジりながらもその偶然が結果を結ぶというお話で、高度成長の前向きさを青島が体現していた。
  だが今日の金城作品は、人力飛行機を作り実験する研究者の卵である青島の夢は成就するかどうか最後まで描かれない。教授コースとは無縁の夢に邁進する彼を妻が理解するというドラマにはなっているが、最後その妻との間に子どもができたことがわかり、お祝いの食卓を用意して待つ妻だが、青島は大学で人力飛行機の改修にのめりこむ。やがて深夜になり、キャンバスから追い出しコンパの歓声が聞こえてくる。妻との間では新しい生命が生まれ、学校は春を迎え季節は移りゆくというのに、ドラマは宙づりの時間の中で己の世界にのめりこむ主人公の姿で終わってしまうのだ。
  
  「今までは男というのはひたすら女性に尽くし、女性に合わせてだったけど、ここまで男女平等の世の中になったら、女性の方も男性に合わせなさいよ、と。合わせてますよと言うなら、じゃあ、あなたオタクと付き合えますかということですよね」と今日買った対談本の中で唐沢俊一が言っていたが、ある意味、昔からこういうことは描かれていたのだ。「オタク」なんて言葉すらない時代から。金城哲夫は、時の流れと行きはぐれながらも、自分では全然後ろ向きだと思っていない主人公の姿を描き、それはまさに時代を超えて、現代の僕たちをも照射していると思う。