実録・連合赤軍

  若松孝二監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を見る。
  私は、まだ見ておらず、これから見る予定である映画の評判はあまり聞かないことにしているのだが、やはり題材が題材で監督が監督なだけに、見た以上語りたがる人は僕の周りにはいっぱいいて、「若松監督の視座がない」「最後に『勇気がなかったんだ!』と高校生に総括リンチを批判させるところは安易で、ない方が良かったのではないか」「あの問題を『イジメ問題』に矮小化している」「歴史のお勉強になってしまって<現在性>がない」といった声が耳に入ってきていた。どちらかというと批判的な声が大きく聞こえていた。

  で、三時間半の上映時間が終わったときに、僕にもたらされたのは、非常に肯定的な印象だった。

  たしかに、連合赤軍事件からもたらされた僕の印象そのものと、若松監督のこの映画とはズレているところはたくさんある。それはあの事件に関心を持ち、自分の中でイメージを持った人間の数だけあるのではないか。僕みたいなリアルタイムで事件を知らなかった(当時小学三年生)人間でさえ、学生運動が大衆から決定的に遊離したきっかけとなったといえるこの事件がなんだったのか、関心を持ち、関連書籍(永田洋子「十六の墓標」坂口弘あさま山荘1972」笠井潔「テロルの現象学」等々)を読んだりしたものだ。

  僕は映画監督でも小説家でもないが、もし自分があの事件をなにか構成し直すとしたら、観念の病理とその美しさを両方描き出すように試みるだろう。僕は永田洋子の手記の最後にある、逮捕されるまでの瞬間、初めて直接権力と相対した際の、時が結晶化したような美しい描写がいまでも心に残っている。あれはホンモノだった、と信じることが出来た。自分の存在を投企するために他者にそれを増幅して求め、醜い総括リンチを繰り返す閉塞を自ら作り出したともいえる彼女にとって、ようやく訪れた、世界と自分が一致した瞬間。そこを描いてこそ、そうした観念の美しさの裏側にあるおぞましさも両方体感できると思うのだ。

  だからこの映画で永田の逮捕がセリフのみで伝えられ、以後彼女がまったく出てこないことには拍子抜けしたのも事実だ。

  あと森恒夫は先に自殺しているためか、永田と坂口の手記では事件の原因を森に持っていく傾向があると思う。これはオウム事件で刺殺された村井が責任を負わされる構造とも通じるものがあるのではないか。今度の映画でもそうだが、見ていると森個人の人格的偏りによってあの事件が起きたように見えてしまうところがある。
  もちろんそれはある程度事実にも沿っているのだろうが、ではなぜ森に、「あなたこそ総括が必要ではないか」といえる人間が誰もいなかったのか(一度闘争から逃げた彼の過去を問題にすることもあの中の文脈でなら出来たはずだ)ということが気にかかってくる。それは単に森が逆らいようのない権力をあの中で握っていたからなのだろうか。
 この部分が曖昧だと、事件が何で起きたのかも不明瞭になる。

 感情的には「こんなの革命じゃない」とも思っており、実際脱走者も複数いたにもかかわらず、山を下りられなかった側の人たちは、いったい何に呪縛されていたのだろうか。

 そこを描いてほしかった。

  私の解釈だと、武装闘争に「銃」を導入したための観念化があげられると思う。日本は銃社会ではないから、銃とは自分の身近にないもので、日常的には空想的な産物だ。永山則夫の例にも見られるように、たった一つのピストルを自分が所持しているというだけで世界が変わってしまうと思えるような、境界線上にある象徴なのだ。
 それまではゲバ棒か火炎瓶が精いっぱいだった学生運動が銃を持つことになったときの緊張、そして覚悟は彼らの手記に鮮明に記述されている。
 そこには、自らの「銃化」という幻想があった。
 自らを武装闘争の最前線に投げかけるために、銃と自分を一体化させる。森がそれに取りつかれていたことは複数の手記にうかがえる。
 だからこそ、銃の手入れでわずかな傷をつけたことが総括リンチの対象になったのだろう。
 
 だが映画ではそこにポイントがないため、前半から描かれる学生運動の歴史の中でなぜあのような傾斜が起きたのかが結局わからないのだ。

 と、いうようなわけで、当時小学校低学年だった私でさえ一家言めいたものを持ってしまうあの事件。

 しかし、映画そのものに対しては、私はおおむね肯定的なのだ。

 こっからは端的な感想になるが、若松孝二は警察も永田洋子も、ちっとも許してないのだと思った。

 そこは、彼が赤軍の扇動者とみなされていた時代から、ぜんぜん変わっていない。丸くなっていない。

 事件を警察側から描いた先行作品への怒り、自らの映画『赤軍PFLP世界戦争宣言』の上映運動にかかわってくれた遠山美枝子が殺されたことへの怒り。
 
 それを持ちながら、可能な限り起こったことを虚構化しないように配慮し、抑制を効かせて起こった順番に描いていく。

 永田洋子に対しては、あれ以上醜くも美しくも描かないようにギリギリ抑制を効かせている。
 変なカリスマ性を持たせないのはもちろん、過剰に貶めてもいない。
 なぜなら、若松にとって、彼女も警察権力と闘っている人間であることに違いはないからだ。
 しかし永田の映画からの退場の仕方は先述のように実にあっさりしたものだし、最後の参考文献に永田の手記は挙げられていない。

 反対に、凄惨なリンチで死んで行く遠山美枝子に対しては、醜く腫れあがった顔を自ら鏡で見て涙するという場面の逆説的なまでの美しさを配置することで、彼女の死から目を背けず、花を手向けている。
 そして遠山の親友だった重信房子の像は遠山の追憶の中で美しいままだ。それは若松が重信にかつて投げかけたものでもあるだろう。

 冒頭の、事実をもとにしているが「一部フィクションがあります」とあるように、ただ起こった事例の羅列に留まらない「残余」がある。
 それが不器用なまでに明確に表れている。

 総括リンチを止められなかったのは「勇気がなかったんだ!」という最後近くの高校生闘士の叫びは、明らかにその残余の部分だ。明確に、そこだけはトーンが違い、浮いて見えるようにむしろ作られているのではないか。
 むろん、「そんなこと言ってなんの解決になるんだ」という反論は出来るだろう。「あの問題を『イジメ問題』に矮小化している」という声があったように、学生運動をそのレベルで語るのかという反発もあるだろう。

 しかし、違うのだ。
 一人の高校生の視点を配置し、最後にあの叫びを入れることで、若松はこの映画を見ている若者の「いま」と直接出会わせたかったんだと思う。甘かろうが、解決になっていなかろうが、お兄さんお姉さんたちの「観念」言語にまだ染まっていない彼の生身こそが、かつてあり得たかもしれないものであり、時代を超えると認識されたのだ。
 
 この少年だって、兄のリンチにいやいやながらも手を貸した過去がある。そしてその死を止められもしなかった。だが、そのことに対してもがき、叫ぶことを知っていた。そして彼は最後まで機動隊に銃をぶっ放し、取り押さえられても稚拙に手足をバタバタさせていた。

 籠城したまま「徹底抗戦」を決意する残存部隊。それって何の意味があるのか。逮捕か射殺しか待っていないのは必至だ。「徹底抗戦」自体が自己満足的行為だともいえる。しかし若松はそんな視点を持ち込まない。逮捕の瞬間まで彼らを見届ける。
 小屋の外から響く、警察や彼らの親の説得の声。世界と相対する瞬間。
 唯一一般社会側の人間である山荘の奥さんと彼らのやりとりは美しい。あなたを人質とは思っていない、敵でも味方でもない存在になってくださいという赤軍兵士に向かって黙考の末頷き、その代り、将来裁判になってもけっして証人として呼ばないでくださいと頼む婦人。その約束を守ると誓う彼ら。

 連合赤軍事件とは世間にとって、まずあさま山荘の銃撃戦があり、その後山岳ベースでの死体発見が事実としてもたらされた。
 今度の映画はそれを逆から描く。赤軍兵士の道程そしてその果てとして走りきるということ。
 それが若松孝二にとっても、かつて過ぎ去った時間を取り戻すということだったのではないか。
 この事件を一つの視座から断片化して描く映画はこれまでにもあった。たとえ「歴史のお勉強になってしまう」危険性があったとしても、断片化では捉えられないものを提示した意義は大きいと思う。

 しかも、よく見ると警察権力の姿が直接映る場面は数カットしかない。これは歴史の大局化ではない。戦う側に寄り添った物語なのだ。

 

十六の墓標 上―炎と死の青春

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