「実録・連合赤軍」イベント


  阿佐ヶ谷ロフトで、見たばかりの『実録・連合赤軍トークイベントがあったので行きました。
  イベントの趣旨は次の通り。


(以下、主催者・塩見孝也氏による告知より)
<2月6日・・阿佐ヶ谷イベント>
「塩見塾が提出する、<実録・連合赤軍>を受けた、白熱の連合赤軍総括論争の現在」
映画「実録・連合赤軍」出現を祝しつつ、この映画と連合赤軍事件から僕らは何を学ぶべきか。2・6阿佐ヶ谷「ロフト」トークへの参加を! 塩見孝也(元赤軍派議長)

1、この映画の歴史的意義とは何か、やっとまともに語りあえる水準へ、若松監督ゆえに出来たこと、その手法、構成と各論点。ーー映画論から見た評価

2、連合赤軍事件そのものはどう捉えてゆくべきか。
連合赤軍事件は何故発生したか。その真相は?
毛沢東思想・中国革命・中国党の影響、「連合赤軍」ならぬ「統一赤軍」と「野合」「新党」、「共産主義化」のベールを被った「粛正」とその展開構造、銃撃戦の意義、評価、リッダ闘争と比較して。
体制と世間の評価、日本左翼、新左翼の宿阿としての「連赤】事件と内ゲバ
銃撃戦戦士や関係各人の対応その悲劇と活路、赤軍派と革命左派の対応、総括運動の各発展段階と現在。
日本赤軍」と赤軍派、「連合赤軍」と赤軍派、「よど号」グループと赤軍派

3、映画上映と一体化しつつ、赤軍派の70年安保大会戦で総括論争を含めて提起したものは、なにをどう、今、活かされるべきか。
民衆蜂起はどうあるべきか。民衆と大規模の巨大な政治闘争、民衆権力、統一戦線と武装、国際主義、党。

僕、塩見孝也は、これまでの蓄積を活かし、全力で識見、力量ある評者・ゲスト諸氏に呼びかけ、トークを停滞、閉鎖から活性、解放へ、白熱のものへリードしてゆきたい。

【出演】
足立正生(映画監督):「PFLP赤軍」のドキュメンタリー映画を作った人で有名ですが、パレスチナに行き「日本赤軍」のスポークスマンをやる。その後、強制送還されるが、重信房子さんや日本ーパレスチナ連帯に尽くす。最近「幽閉者・テロリスト」を作る。

鈴木邦男一水会顧問):おなじみの僕の人。右翼民族派の見地から。

☆竹藤佳代(映画監督):ディレクター、プロデューサー。若松監督門下、「実録連合赤軍」のメーキングを担当。非常に切れる、今後の映画界のホープの一人。

塩見孝也(元赤軍派議長)

若松孝二(映画監督)

OPEN 18:30 / START 19:30
¥1,500(飲食代別)<当日券のみ>

(以上、主催者・塩見孝也氏による告知より)

  
   若き日の塩見さんがイケメン俳優によって演じられた映画を見たすぐ後に、本人の現在の姿にお目にかかれる機会が得られました。
   塩見さんとは以前高田馬場山田洋次の映画を語るという機会でお会いしたことがあります(その時の企画及び進行は鈴木邦男さんでした)。今回はそのときとは違い、政治的な、というか当事者的なテーマだったので、アジ演説とまではいかないまでも、左翼集会での語りのようになり、それに足立さんが真っ向からぶつかり、鈴木さんが実質司会のようになって場を取り仕切り、若松さんはちょっと距離を置いてそこに居る、という構図でした。

 ゲバ用語を多用する塩見さんの演説に若松さんが「お客さんにはわからないよ」と言い、「あさま山荘のメンバーと自分は違うという自己弁護にすぎない」と足立さんが批判します。

 たしかに塩見さんのお話は、アジビラ口調でえんえんと歯止めなく語られるので、僕は自分の大学時代の八十年代前半にもかろうじて居た政治用語を多発しえんえんと喋る先輩を久しぶりに思い出したりしました。あまりにずうっとまくしたてているので途中でこちらの頭がぼうっとなり、ふと我に返ってもまだ相手は喋っている……というような。

 塩見さんは連合赤軍事件の時は獄中におり、これは残された者が毛沢東主義の違う派閥に扇動されて陥ったことだとまくしたてたものだから、足立さんも若松さんも「そういう言い方はナンセンスだ。当時運動していたら誰もが当事者になったかもしれない。殺した側も殺された側も被害者だ。塩見の発言は自分だけを免罪している」と批判したのです。

 ただ、塩見さんの自己弁護かどうかはともかく、そこから僕なりに汲み取れたことは、「連合」赤軍という形で路線の違う政派が「野合」し、「銃」による闘争にのみ収斂してしまったために起きたことではないかということでしょうか。
 その意味では、昨日の日記で書いた、リーダーの森が銃と自分たちを一体化させることに取りつかれ、そこに「共産主義化」の答えを見出してしまったゆえの悲劇であるという認識を再確認しました。
 塩見さんの言いたかったこととはズレてはいますが、僕はこのように受けとりました。塩見さんの主張は塩見さんのHPで見てください。 http://homepage2.nifty.com/patri/column/2007_12_25_united_red_army.html

 急速な「銃化」には「世界同時革命」はいま起こり得るんだ、という性急さがあったことも、6日のトークからうかがえました。

 若松さんは、永田洋子が遠山美枝子に鏡を渡し、醜く腫れあがった顔を見せるという映画の場面は、「本当に醜いのは永田、お前なんだよ」という思いを込めて演出したと発言されました。
 「殺した側も殺された側も被害者なのだ。どちらも悲しいんだ」と若い役者を演出する際に繰り返したという若松さんでも、やはりぎりぎりのところでは永田を許してはいないのだと思いました。
 
 僕はロフトの平野さんの策略で(笑)いきなり感想を求められたので、「総括リンチから目を背けることなく、しかもそれだけに焦点を当てて断片化することなく、そこを真っ向から描きながらも、同じ彼らが権力に直接銃を向け、逮捕されるところまで描き切ったことに『やっと連合赤軍事件を描いた映画を見れた』と思った」と述べたところ、若松さんは「2・26事件でさえ権力に直接戦いを挑んだとは言い難い。あさま山荘は日本の歴史で唯一直接権力を相手に銃撃戦を戦った」と、そこは外せない部分だったと返答されました。

 そして「唯一高校生だったメンバーの『勇気がなかったんだ』という言葉は時代を超えて若い人に呼びかけたものではないか」という僕の投げかけには「彼の場合は厳密には16歳だったが、自分にとって17歳というのは追いかけていきたいテーマだ。前作の『17歳の風景』とこの作品、そしてこれから作る新しい作品を合わせて<17歳三部作>にしてみたいと思っている。『勇気がなかったんだ』という言葉で、若い人に、がんじがらめの世の中でも、直接街に出て、嫌なものは嫌と言おうよ、と呼びかけた」と答えていただきました。

 最後の銃撃戦で若松さんは自分の家をあさま山荘に見たてて撮影、つまり自分の家を壊してしまったというのです。それだけの不退転の決意で作られたこの作品、僕は見て良かったと思いました。
 多くの人に見てほしい映画です。