死んだ後に出会う

 
   ある人に謝罪の手紙を書いた。
  自分の悪意ではなく不可抗力的要素があったことを説明しつつ、しかしそこに責任を転換したくはなかったし、すべきではない。不可抗力が存在するということこそが現実だからだ。
  崇高な理想を持った人が、そこに憧れている自分に酔ってしまうほどであったとしても、僕は決してそれ自体を否定しない。しかし同時に、自分がブチ壊されてしまうほどの経験を積んでこなかった人間は、いくら年長であっても、人生経験の少ない人だと思う。
  そのことをわからないで自分の価値観を押し付けたり、お説教したりするのは、文字通り傲慢だ。それは「場の空気を読めなかった」というような表面的な問題ではない。

  それから、前にこの日記でも書いたかもしれないが、僕はある頃から「自分なんかの書いたものを百年、二百年後に振り返ってくれる人がいるんだろうか。いないだろうな。でも残らないとなんか淋しいな」という思いにかられていた。
  だが最近あることで、それは実に傲慢な考えであると知った。
  なぜなら、それは結果論であり、そこに自ら固執することは、自然に年を重ねることへの拒否を前向きなことと勘違いさせるような「アンチエイジング」という言葉に僕が感じるイガラっぽさに近いものだと気づいたからだ。
  自分の銅像を作り、それが何百年たっても風化しない物質で出来ていたとしても、立ち止まって見る人が居なければなんにもならない。そんな無用の長物を作ることに執心するよりも、そこに入っていけば、いつでも僕が読む人に会えるような表現をすべきなのだ。
  今日、ドキュメンタリ映画作家松江哲明さんが、十四歳の自分に向けて書いた『童貞の教室』(よりみちパンセ)という本を読んで、そんな思いを強くした。

  松江さんは「死んだらどこへ行きますか」という谷川俊太郎さんの質問に、こう答えている。
  「作品の中にいるのでいつでも会いに来てください」

  僕がいま作っている証言集の主人公である原田昌樹監督は、あくまで仕事仲間と映画を作ることに、文字通り亡くなるその日までこだわり、そしてその映画の内容は、闘病する自分とは無縁のものだった。
  自分が闘っている、そしてある意味受け入れようとしている運命は、それを直接描かなくても、あらゆる人の営みに現れているはずだ。そのことを、一切のお説教を交えず、教えてくれたと僕は思っている。
 そんな原田さんの仕事に読者がいざなわれ、ふたたび目を向けることのできる本を目指したいと思う。