高久進さん、永遠の復活


   『Gメン`75』『キイハンター』『マジンガーZ』『超人機メタルダー』等、いくつものアクション、アニメ、特撮その他の作品を世に出した脚本家の高久進さんが、22日お亡くなりになりました。
   私のもとには、23日の昼過ぎにご連絡がありました。
  この時点でどの程度話を広げていいかわからなかったので、mixiでマイミクの方に、その作品に触れたり、取材などでお会いした方がいらっしゃるかもしれないので、取り急ぎご報告いたしました。そのあと、新聞社の方などから連絡があり、ご遺族の方のご連絡先をお伝えしました。
  高久さんは「東映ヒーローMAX」「刑事マガジン」と、長時間にわたるインタビューに応えていただき、豊富なエピソードをいっぱい教えてくださいました。
  子どもの時から、ブラウン管を通して、自分の情操を育ててくれた方の一人でした。

   25日、告別式に参列させていただきました。

  キリスト教の教会でのお別れでしたが、聖書でいう「休息」「安らぎ」という言葉は、その人本来の場所に帰るという意味であり、それは天に召されるということとも重なり、そのことを悲しむのではなく祝福し、未来の復活を祈るのだという神父さんの説明がありました。

  息子さんが最後にご挨拶に立たれ、父の残した作品は、社会悪や権力に翻弄される弱者の側に立ったものが多く、それは敗戦で価値観が180度変わり、昨日までの善が悪、昨日までの悪が善に入れ替わったことの衝撃が根にあるのではないかと話されました。

  その一方で、父は動物が好きで、犬や小動物を登場させた作品を多く描き、プライベートにおいても多くの小動物を飼い、家族の中で一番面倒をみていたと話されました。

  そして父は亡くなってもそのたくさんの作品が残され、これからも出会い続けることが出来るとしめくくられました。

  息子さんがお父さまの作品の本質を話されたのには目頭が熱くなりました。

  数々の作品が走馬灯のように蘇ってきました。

  『Gメン'75』の警察犬ものでも、単に人間のよきパートナーとしてだけではなく、命をすり減らしながらも働く犬への共感が描かれていたこと。高久さんのもとには、『メタルダー』に登場したロボット犬スプリンガーを演じたドーベルマンを引き取るという話もあったぐらいです。スプリンガー自体も高久さんの発想です。犬の話は『マシンマン』にもありましたね。
  権力に翻弄される人々の話で印象的だったのは『Gメン』の沖縄編三部作でした。その原型が映画『昆虫大戦争』にもあり、いまだアメリカと日本の間で翻弄される島の住民へのまなざしが貫かれていました。 満蒙開拓団で引き揚げさせられた人たちが、新潟で与えられた荒地をようやく開墾したとき、自衛隊に土地を没収されそうになり、その彼らの戦いを描いた習作時代の作品『北風』以来一貫したテーマです。
  そして『超人機メタルダー』の悪の帝王ゴッドネロス像には、現代社会に権力者として君臨する岸信介など戦犯への怒りが込められていたこと。『メタルダー』の当時のスポンサーは船舶振興会ですから、その反骨精神には驚かされます。
  
  高久さんが習作時代から温めていた幹となる話があります。
  その一つに、江戸時代の隠密「お庭番」をモチーフにしたもので、敵にスパイを送り込み、彼は一切の身分から何から相手方に染まり、密命を待つという話があります。死ぬときも敵の一人として死ぬ。つまり敵と味方の逆転。これは『キイハンター』『Gメン'75』の諸作品、「情け無用のライセンス」「バスストップ」そして倉田保昭のラスト編などに生かされています。そもそも『Gメン'75』は「警察の中の警察」というシリーズの発想自体にそうした逆転の発想が現れています。
  あるいは「無人踏切」という話もあります。ある青年が電車に轢かれそうになった子どもを助ける。それをちょうど居合わせた選挙の立候補者が宣伝カーから目撃する。立候補者は美談を自分のものにしてしまう。この話も「アイフル大作戦」で映像化されています。

  どちらも、善と悪がときに入れ替わり、その中で個人が翻弄されながらも、懸命に生きようとする姿が描かれています。
  いや、本当は善も悪も人間が決めた枠であり、『マジンガーZ』の「怒れ!眠れる巨人スパルタン」の、野性の太鼓の音を聞いたことで闘争本能が呼び覚まされるロボットのように、いつでも逸脱し、不安にさらされている存在である我々に気づかされてくれます。

 「僕のは、暗いんだよ」と高久さんはおっしゃっていました。いわゆる作家主義の脚本家ではなく、一方で職人体質を自認しながら、その作風は決して軽くない、というのが高久さんの特徴だったと思います。

 雑誌連載のためのインタビューテープは長時間あり、まだまだ起こしきれていなかった発言もいっぱいあります。いつの日か、高久さんの作品と出会いなおすよすがに、世に出せればと思います。

 そして高久さんの作品は、ソフトとして再生されるたびに、また私達の頭の中で、これからも何度も復活することでしょう。


  
  故 高久進 葬儀
  故人生年月日 1933年(昭和8年) 1月11日
  逝去 2009年(平成21年) 7月22日 76歳

  教会 カトリック百合ヶ丘教会
  
  通夜 7月24日(金曜日) 18時〜19時 カトリック百合ヶ丘教会
  葬儀ミサ告別式 7月25日(土曜日) 11時〜12時30分 カトリック百合ヶ丘教会
  出棺 7月25日(土曜日) 12時30分 教会〜多磨葬祭場