人間たちの祭り
昨日は上野の国立博物館に土偶展見に行きました。
「縄文スーパースター。国宝土偶、勢揃い!」のコピーはウルトラ兄弟勢ぞろい!のようでした。
有名どころ、形のはっきりしたものが大集合。
土偶の名前って、「遮光器」とか「ハート」とか、現在の目で見た形状のなぞらえがそのまま正式名称になっているんですね。
当時の人々の現実をデフォルメする目って、どうなっていたんだろうかと思わせます。サングラスとか、もちろんないわけじゃないですか。
原始人の壁画とか見ると、まだ立体感の表現が生まれてなかったりしますよね。土偶も、ああいう風に見えていたのかな。西洋のいわゆる写実的な彫刻みたいなものだって、当然まだ文化として入ってきてないわけですから。
いまの人間からは「デフォルメしてる」ということになるんでしょうけど、当時の人々はどの程度それを自覚化してたのかな。
しかも個人の中にある創作意識とかじゃなくて、部族、集落全体の儀礼的なものだったりするわけでしょう。
いまでいう宗教観というか、自然観がいわゆる現実そのものと渾然一体となっていた時代の見え方なのかな。
だとしたら、土偶って、究極のスピリチュアルですよね。
さて土偶展もさることながら、国立博物館では京都の「洛中洛外図屏風 舟木本」がすごかったです。
実物も期間限定で展示されているのですが、時を隔てて色もくすんでいるし、ガラス越しで離れているので描かれてあるものの印象がくっきりこないのです。
それをさまざまなアプローチで当時の観賞以上のものを実現させています。
いま博物館は新しい時代に入ってきているのだと実感できました。
場内にあるタッチパネルで屏風の絵のUPを上下左右に動かせる。たぶん絵を取り込んだあと処理を加えているのかな、一人ひとりの人物がくっきり表情までいきいきと見えます。
橋では踊って練り歩く人々。歓声を挙げるギャラリーの傍らに、物乞いする人。橋のたもとで床屋さんに髪を切られている人。遊女を羽交い絞めにしている男。
そういう人々が表情豊かに描きこまれているのがわかります。
絵の右から左への移動は時間の移動を表していて、それが追体験できるのです。
古の祭りの時間の中に居るような気分になりました。
そしてミュージアムシアターでは「洛中洛外図屏風 舟木本」を大画面のVRで細部まで再現上映。
会場に入る時「京の風物詩」「信仰」「名所今昔」「豊臣家」「異国人」「商い」の項から二つ選ばされます。その中で毎回人気上位の二つをテーマに屏風の細部を30分で紹介。つまり行くたびに内容が変わる可能性があるのです。
行き帰りは当然上野の公園を歩いたけれど、ホームレスの人が讃美歌を歌い、写生している人もいればバードウォッチングしている人、路上でライブをやっている人、猫をかわいがっている人……自分も、いま、ここで人間の営みの中にいるんだなあと思えました。