判決直前までの経緯〜丸田祥三氏『棄景』剽窃被害11

  丸田祥三氏が盗作で小林伸一郎氏を訴えた裁判。
  裁判所から和解を勧められた時、丸田祥三氏が出した和解案は「お金も謝罪もいらない。ただ当該写真が掲載された同じ本のどこかに丸田氏を参考にしたと記してもらいたい」ということでした。それもいま出ているものまで回収しなくていいから、重版時にお願いしたい、と。
  僕はこれを聞いた時、心洗われるような気持ちになりました。

  丸田君も苦しみ抜いたんだと思います。その結果の和解案です。これまで僕がブログでも記してきたような、裁判過程での小林氏の傍若無人なふるまいを考えれば、僕がもしその立場だったらこのような恩讐を超えた和解案が出せるかどうか、と思わざるを得ません。

  しかし一方で、小林伸一郎に対する、この丸田祥三氏が出した和解案は、本来スタート地点に戻ったに過ぎないともいえます。仮に参考にしたとして、どこまでそれが「盗作」であるのかないのかに判断を出すのが、本来裁判所に求められていたことのはずだからです。

  それでも丸田祥三氏が小林伸一郎との和解の席についたのは、事前依拠の証拠が新たに出ない以上、判例からいっても無罪判決の可能性が高く、そうすると「ここまで似ていても許される」というお墨付きを逆に与えてしまい、それが今後の基準になるかもしれないという「表現の未来」について考えたからです。

  一方、小林伸一郎側の出した和解案は、写真家として丸田氏が著作を持ち活動していることを認める、ということでした。
  こんなことは、本来小林氏に認めてもらう筋合いでないのは言うまでもありません。

  小林氏はそれに加えて、盗作問題について書いたブログやネット記事、動画などを本人が書いたものでないものも含めて削除せよという要求を盛り込んできました。

  つまり小林伸一郎の出した和解案は実質「和解」ではなく、言論の自由や比較論評を封殺する「恫喝」行為だったのです。

  もちろん小林伸一郎の要求する、これらの削除要求はそもそも裁判の争点ではないし、また自分で書いてないものまで削除を指示出来る権限が丸田氏本人にないのは言うまでありません。

  しかし、丸田氏は小林伸一郎のこの理不尽な要求に関しても出来得る限り誠実に対応しました。自分が書いた記事に関しては、小林氏側にチェックしてもらい、問題があると指摘された部分に関しては削除や変更も射程に入れて検討する、と返答したのです。
  僕はここでも、心洗われる気持ちになりました。

  しかし和解の席についた当日、小林伸一郎氏は、丸田氏に対して廃墟写真の先達として敬意を表するということ自体出来ないと、和解を反故にしました。

  これが今回の判決前に至るまでの、おおまかな経緯です。

  判決は今月21日に出ます。