「私も疎開は好きじゃない」

  この日は「帰ってきたウルトラマンツインテールグドンによる東京壊滅編の後編「決戦!怪獣対MAT」が放送。 
  前編とともにとても印象深い回である。ウルトラマンさえも倒した二大怪獣の猛威に超兵器の使用が命じられ、原爆で破壊された現実の広島のモノクロスチルが挿入される。疎開が始まるが、岸田森演じる坂田さんは、重体の妹とともに東京に残ることを決意する。
  「昭和二十年三月、空襲のとき、私はまだ三歳でした。私の母はどうしても疎開するのが嫌で、空襲のたびに庭の防空壕に飛び込んで、この子だけは殺さないでくれと、空を飛ぶB29に祈ったそうです」
  坂田は「私も疎開は好きじゃない」とつぶやき、榊原るみ演じる妹アキはこん睡状態のまま一筋の涙を流す。これを見たMAT隊員は隊長以下一丸となって、超兵器スパイナーが使われることがないように、解散覚悟で怪獣に立ち向かおうと、ジープで地上戦を仕掛ける。夕陽の下、ついにツインテールの目を砲撃でつぶし、弱ったツインテールを倒したグドンウルトラマンが迎え撃つ。
  この場面を思い出すといまでもあのワンダバの合唱が胸にこみ上げる。人間が自分たちの手でウルトラマンと共闘、人間だけでもウルトラマンだけでも倒せなかった二大怪獣を打倒する。すでに最終回を迎えたのではないかと思うほどのテンションの高い回だった。

  怪獣の破壊が、関東大震災のような大きなカタストロフと重ね合わされ、それがさらに上の世代の戦災の記憶と結びつく、ということはこの頃の私にとっては、ごく自然に重ね合わされていたことだが、実は高度成長期に作られた初代ウルトラマンやセブンにはそういう場面はなかった。
  僕ら第二期ウルトラシリーズをリアルタイムで視聴した世代にとっての自明さだったのだ。
  実際、坂田さんのように自分の戦争体験を話してくれる親戚や学校の先生など、身近な大人はたくさんいた。
  戦災体験が庶民によって語られることが多くなったのは70年代に入ってから、つまりこの頃だったのだ。『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』にも書いたことだが、たとえば団塊世代は、空襲体験の語り部としてこの頃の僕らには知られていた早乙女勝元にしたって、知られた存在ではなかったのだ。
  この前後編は東宝チャンピオンまつりでゴジラ映画と併映され、そこでもこの場面は鮮烈に印象に残っている。